昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

連載高野秀行のヘンな食べもの

高野 秀行
2017/08/14

“昆虫食のメッカ”タイ東北部で“ワインに合う虫”を探した結果――高野秀行のヘンな食べもの

イラスト 小幡彩貴

 ヒアリが話題なので、本欄もアリ食について書いてみたい。

 アリの成体を常食する場所は知らないが、アリの卵はタイやミャンマーなどで食されている。私も何度か食べているが、印象に残っているのはタイ東北部だ。彼の地は世界でも最も昆虫食のバリエーションが多く、「昆虫食のメッカ」とも呼べる地域なのだが、「新たに『虫の缶詰』が開発された」というニュースを聞きつけ、バンコクから列車とバスを乗り継ぎ十時間以上かけてサコーンナコーンという田舎町へ取材に行ったのである。二〇〇〇年代の初めのことだ。

 場所はサコーンナコーン農業貿易研究所。日本の農業試験場に近い存在だ。訪れると研究員の人に温かく迎え入れられたが、「虫の缶詰を作ったきっかけはここで開発したワインに合うつまみを作ろうと思ったことです」と言われ、頭の中が?マークでいっぱいになった。熱帯多雨のタイではブドウは作れない。そして、少なくとも当時タイではワインなど、バンコクに住む富裕層しか飲んでいなかった。しかもそのつまみに虫? 私のタイ語がよほど下手なのかと思ったが、研究員の人はちゃんとワインのボトルを持ってきた。

 その人の説明でだんだん謎が解けてきた。ここでは土地の特産品を研究開発している。ワインもブドウではなく、土地の果実を使用したもの。“赤ワイン”用には、マオという深紅の実がなるヤマブドウに似た植物を使用している。とても丈夫、というか野生に近い植物なので、無農薬で育ち、ビタミンEも豊富である。「健康にとてもいいんです」と研究員の人は強調する。ちなみに、白ワインはタクローという別の果実を使用しているとのこと。

 さっそく味見させてもらうと、どちらも味といい香りといい、ワインそのもの。ただ惜しむらくは酸味が強すぎるし、コクも足りない。

 聞くと、「製造して出荷まで三カ月」という。熟成させてないのか。「一年ぐらい寝かせたら熟成して美味しくなるだろうに……」と少々歯がゆい気分になり、実際にそう指摘したのだが、研究員の人は「最近は土地の名物として人気が高く、注文に生産が追いつかない状態なんです」と答える。研究所がそんなに目先の商売に走らなくていいだろうと思うのだが……。

 それにしても驚きなのは、研究所のスタッフの誰ひとりとして外国でワインの作り方を学んでいないこと。それどころか、ワインをろくに飲んだこともないらしく(高級品だから無理もない)、ヨーロッパで出版されている「ワインの作り方」みたいな本を読みながら、ワインを開発してしまったという。しかもブドウではなく、全く別の果実を使って。それでもここまで完成度の高い商品を創りあげてしまうのだから、タイ人の食のセンスと鋭敏な味覚には恐れ入るしかない。

虫の缶詰のラベルには、生々しいイラストが

 続いて彼らはその天性の美食センスで「虫の缶詰」に取り組んだ。現地で食される多種多様な昆虫の中から栄養面と味覚の両方から「ワインに合う虫」を徹底的に探した。ちなみに缶詰にこだわったのは、商品流通の意味だけでなく、虫が捕れる時期が主に暑季の初めと雨季の初めに限られるので、オフシーズンにも食べられるようにという配慮である。厳選されたのは、モグラコオロギ、ゲンゴロウ、蚕のさなぎ、バッタ、そして赤アリの卵だった。

 虫の捕獲は近所の農家に委託している。捕獲と言っても、夜中にライトをつけて、その下に水を張った大きな容器を用意しておくだけ。朝になると、容器の中に虫がわさわさ浮いているというなんともシンプルな仕組みだ。(以下、次号)

はてなブックマークに追加