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連載近田春夫の考えるヒット

近田 春夫
2017/08/15

胸に熱くこみあげてくる家入レオのコードの演出――近田春夫の考えるヒット

ずっと、ふたりで(家入レオ)/風と共に(エレファントカシマシ)

絵=安斎肇

 源流を60年代アメリカンポップスに見出すこともおそらくは可能と思われる、我がjpopサウンドの要ともいうべき“胸キュンコード進行”ではあるが、もはや発祥の地ではよほどの――映画の挿入歌などで時代の雰囲気を醸し出す必要があるとか――事情でもないかぎり、新曲に用いられるようなことは、まぁ先ずなくなってきてしまっているわけで、そこにはきっと理由もあるに違いない。

 先週はそんな話の途中で終わってしまった。失礼。

 ところで今週の家入レオの『ずっと、ふたりで』だが、この曲、聴くうちになにかこう喜びとも悲しみともつかぬものが、いつしか胸に熱くこみ上げてくるという、いわゆる“高揚感”の演出にきわめてすぐれたコード進行の作品との第一印象を持った。

ずっと、ふたりで/家入レオ(Colourful Records)これまで自身で作詞・作曲を手がけてきた彼女が、楽曲を他者に任せ表現に専念した一曲。

 そこであらためて思ったのが、コードの動きが聴き手の心理/感情にうったえるもののことである。家入レオのこの曲に限らず典型的jpop(やオールディーズ)の和声には、せつなにしろ希望なり勇気なりをあたえるというか“人をいい気分にさせる効果”を持つものが多い。そうした解釈の成立を前提とした上で、今日の英語圏の流行歌、商業音楽のつくりにそのような傾向がほとんど見られぬのであれば、それはあちらの市場の求めるものがもはやそこ――音楽が人を感傷的な気分にさせる――にはない、いい換えれば、かつては盛んであったがすたれてしまったということになるのであろう。

 ポップスにあって歌謡曲にないものはあるかとの問いに、決まって私は“音の新しさの競い合い”と答えてきた。

 たとえば一定の作曲手法に人の胸を大変に熱くさせるような実効性があったとしても、それには賞味期限がある、今はもうダサいよと考えるのがポップスである一方、歌謡曲では旋律と歌詞、そして歌唱の出来栄えこそが大切で、曲調やサウンドなど、その他の要素が作品の価値を決定するようなことは、ほぼ皆無といっていい。

 コード進行という要素だけに絞っていうと、眺める限りjpopの作曲家にとってそれは、他と独自性を競い合ったり、新解釈を提示したりといったことのためにあるのではないようだ。従って作り手として和声について評価されることなど考えもしない。すでに使い古されていようがいまいが、そんなことはお構いナシ。彼らにとりコードの存在意義といえば旋律の魅力を高める。そのことに尽きる……ようにも俺には映るのだが、先週お断りした通り“奔放に思うところを述べる”ってぇことで今回はやっておりますので、ハイ(笑)。

 おっと結論を急ごう。

 どう考えてもjpopはポップスじゃなくて歌謡曲だよ。

 反論などございましたらば、例によって編集まで是非ご一報ね! お待ちしてますわ。

風と共に/エレファントカシマシ(Universal)少年時代にNHK「みんなのうた」で歌った宮本が、40年ぶりに同番組で歌う。

 エレファントカシマシ。

 コードとは別に、サウンドにも意味がある。そこはとても重要でしょう!

今週の封切「近ごろ、何度か原稿に動画サイトでタダ聞きしたなんて書いていたら、近田はまともに聴かずにコラムで感想を書いているのかと怒られることがありまして、一応言っておきますけど、ちゃんとCDは開けておりますので」と近田春夫氏。「とはいえ、最近は規制が厳しいのか、スポット程度しか動画サイトでは聞けないことも増えたねぇ。残念」