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資金力で名門派閥の領袖に
堀内光雄氏のさびしき晩年

source : 週刊文春 2016年6月2日号

genre : ニュース, 政治

石油公団にメスを入れたことで知られる
Photo:Kyodo

 通産相や自民党総務会長などの要職を歴任した堀内光雄氏が5月17日、死去した。享年86。折しもこの日は堀内氏が会長を務めた宏池会(現岸田派)が、会の歴史を学ぶ勉強会を開いていた。

「亡くなって、しばらくたってから発見された。さびしい最期だった」(関係者)

 古賀誠元幹事長が「一番の思い出は、そりゃもう何といっても加藤の乱」と振り返ったように、地味なプロ政治家だった堀内氏が、派閥領袖にまで上りつめたきっかけは、加藤紘一元幹事長が、森喜朗政権の倒閣に動いた2000年の「加藤の乱」だった。

 当初は、加藤氏を支持していたものの、途中から「加藤さんの独断専行にはついていけない」と方針を転換。宮沢喜一元首相、古賀氏とともに、派閥の創始者・池田勇人元首相の秘書官を務めていた宏池会の事務局長、木村貢氏を招いて都内の都ホテルに集結。

「宮沢さんと木村さんは宏池会正統派の証。2人を担ぎ出したのが堀内さんだった」

 と関係者は往時を懐かしむ。この功が大きく、堀内氏は分裂後の宏池会会長に就任し、派閥事務所も伝統ある当時の自転車会館へ戻した。

 堀内氏は祖父、父も衆院議員で、富士急オーナーという毛並みの良さで、1976年に初当選して当時の大平派に所属した。大平氏の死後、派閥を継いだ鈴木善幸元首相や宮沢氏にとっては「堀内氏の豊富な資金力は魅力だった」(当時を知る派閥関係者)。

 やがて加藤氏が派閥を継承すると、側近の1人だったが、ほどなく関係は悪化する。

「派閥継承の際に資金面でトラブルもあり、独断的な加藤事務所のやり方にも嫌気がさした」(同前)

 後の分裂劇で堀内氏側が多数を占めた背景には、こんな資金面の事情もあった。

 70歳を超えて派閥会長となり、表舞台に飛び出した堀内氏の政治生活はここから波乱万丈に。小泉純一郎政権の初期は慶大の同窓ということもあり、総務会長を3年半にわたって務めるなど円満だったが、三役退任後は冷遇されて反小泉に。運命の郵政民営化関連法採決では造反して離党し影響力はなくなった。復党したものの、09年衆院選では落選し、引退した。

 名門派閥・宏池会の会長で、総裁選に出馬しなかったのは堀内氏が初めて。以後、古賀氏も出馬せず、岸田氏も経験はない。宏池会の栄光が甦る日は来るのか。

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