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佐道 明広
2017/08/24

自衛隊vs.帝国陸海軍 「普通の軍隊」になるのか――徹底解剖 日本の大組織

警察優位で創設された「専守防衛」の陸自、旧軍と米軍との関係が深い海自。ルーツを知れば、現代日本の安全保障の実態が見えてくる

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 1954年に創設された自衛隊は今年で62年、前身の警察予備隊(1950年)から数えると66年となる。明治5年(1872年)に創設された帝国陸海軍(旧軍)は敗戦によって73年で終焉(しゅうえん)を迎えた。自衛隊はあと10年ほどで帝国陸海軍の歴史と並ぶことになる。

 旧軍は悲惨な結果となったあの戦争に至るプロセスにおいて重要な責任があり、多くの戦闘においても数多くの犠牲者を出す敗北を重ねた。そのため、その組織論上の問題は「失敗」を研究する題材にもなっている。では自衛隊はどうなのだろうか。人間でいえば還暦を超える歴史を持ちながら、一般の国民が得ている自衛隊に関する情報はそれほど多くはない。そこで、旧軍と比較しながら、自衛隊の歴史、組織文化、そして政治との関係といった点を順にみていくことにしよう。

今夏、内閣改造直前に辞任した稲田朋美元防衛大臣 ©文藝春秋

「生まれ」と「育ち」

 組織というものは成立と発展のプロセスによって大きな影響を受ける。旧軍もそうであるし、自衛隊も後述のように陸海空で大きく異なる組織文化を持っている背景には、創設・発展の経緯が違っていることがあげられる。まず旧軍から見ていこう。

 ヨーロッパを範とした近代的な軍隊を創設しようという動きは幕末にさかのぼるが、本格的な国軍の創設はやはり明治となり、1871年の御親兵(のちに近衛兵に改称)設置と全国4つの「鎮台」設置、翌年の陸・海軍省創設からと考えた方がよいだろう。ここから国民皆兵を前提とした旧軍の歩みが始まる。ちなみに、明治の初期は「海陸軍」と海軍が優先であったが、武士階級を中心とする国内不平派に対応して鎮台が設置される頃から「陸海軍」と陸軍優先となる。佐賀の乱から西南戦争へと至る不平武士階級の反乱に対応する必要があったためである。

 こうした陸軍優先は、西南戦争の鎮圧によって内戦対応の軍隊から「外征軍」へと変化していく時期になっても変わらなかった。海軍の整備には巨額の費用がかかるためであり、組織としての海軍が陸軍に対抗する存在になるのは、日清戦争に備えて海軍の充実化が図られていく頃からである。なお、陸軍が最初はフランス、のちにプロイセンを模範とし、海軍がイギリスを手本としていたことはよく知られている。大陸国家であるプロイセン(のちにドイツ)型陸軍に範をとり参謀本部を強化していく陸軍と、海洋国家であるイギリスを範とした海軍で組織文化が異なっていくのは当然でもあった。

 さて、のちに旧軍の政治的武器となっていく「統帥権独立」や「軍部大臣現役武官制」は、明治憲法制定前から整備されていく。戊辰戦争でも西南戦争でも最高司令官には文官が就いていたが、1878年の参謀本部独立以来、軍と政治との関係は大きく変化していく。詳述はできないが、それは山縣有朋という軍人政治家の存在なくしては考えられない。そして昭和期になると「統帥権独立」と「軍部大臣現役武官制」を使い、強引に政治をリードする軍部によって戦争への道を進んでいくことになるのである。