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芥川賞受賞者インタビュー
僕たちはこんな本を読んできた 芥川賞作家のこれまでとこれから

滝口悠生インタビュー「高卒フリーターから文学の道へ」#1

小さい頃から縛られることに反発していた

source : 文藝春秋 2016年3月号

genre : エンタメ, 読書

――「死んでいない者」で芥川賞の受賞、おめでとうございます。滝口さんは、八丈島でお生まれになり、その後、埼玉県に移られたんですね。

滝口 母の実家が八丈島にあるんです。父は高校の教員だったのですが、そこに赴任をしていて。八丈島って意外と大きくて、伊豆諸島の中では大島の次。車でも一周するのには半日はかかります。人口も僕が子どものころは1万人以上いて、いまは少し減りましたが約8000人が住んでいます。その後、1歳半で父の転勤に伴い埼玉県の入間市に引っ越しましたが、気候も温暖で、夏休みにはよく行っていましたね。

――どんなご両親でしたか?

滝口 父は古文の教師で母は専業主婦でしたが、一言で言えば放任主義の家でした。うるさく色々と言われた覚えは余りありません。

 小さい頃はどちらかといえばインドア派で、絵を習っていました。ただ、人より本が好きで、文学作品をいっぱい読んでいたということはありません。漫画は『週刊少年ジャンプ』の作品が好きでした。ギリシア神話をモチーフにした車田正美さんのバトル漫画の『聖闘士星矢』とか、こせきこうじさんが書かれた野球漫画の『県立海空高校野球部員 山下たろーくん』とか。

――野球はお好きなんですか?

滝口 西武ライオンズが好きでした。監督が森祇晶(まさあき)さん、クリーンナップには秋山幸二さんや清原和博さんがいて、もの凄く強かった時代だったんです。毎日のようにテレビで試合を見ていました。少年野球団にも入ってプレーもしていましたが、すぐに辞めてしまいました。拘束されるのが嫌で(笑)。当時は反発しているつもりはなかったのですが、後から考えると、縛られることに対してはけっこう反抗していました。いまも変わらないかもしれません。

芥川賞を同時受賞した本谷有希子さん(中央)、直木賞を受賞した青山文平さん(左)と ©文藝春秋

――高校を卒業後は進学せず、アルバイト生活をされていたのも、その表れだったのでしょうか。

滝口 確かに進学志望者が多い学校でしたので、珍しかったですね。1回、進路指導担当の先生が学年全員を集めて、受験勉強に向けた叱咤激励をする会があったんです。そこで「ダラダラしていないで、本気で勉強に取り組まないと大変だぞ」というようなことを言われて。でも進学せず就職したり、専門学校に行ったり、まだ決めてない生徒もいる中で、進学が自明のことのように言うのが許せなかった。それで「もう進学しない」って(笑)。

 それに大学に行って特に何かしたいことがなかったんです。受験勉強って大変じゃないですか。目的とか意志があってするのならいいんですけど、「何となく進学するために、遊んでいた人たちが勉強する」という流れには乗れませんでしたね。

――ご両親はその決断に対して何かおっしゃいませんでしたか?

滝口 最初は「行った方が」とは言われましたが、そこまで無理にという感じではありませんでした。最終的には「自分で決めて、そうしたいのであれば好きにしなさい」と言ってくれました。

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