文春オンライン

橋田壽賀子と安楽死#1「そろそろ、おさらばさせて下さい」という権利があってもいい

『安楽死で死なせて下さい』を書いた理由

note

誕生日ごとに「死に方」を考えよう

 当たり前の話ですが、人は誰でも死にます。しかも、いつ死ぬかわかりません。なのに死は忌むべきものとされ、死について語ろうとすれば「縁起でもない」と言われます。日本人は、死というものや自分の死に方に、無関心すぎるのではないでしょうか。

 私たち戦争を経験した世代の死生観は、その後の人たちとはまるで違います。人の死を身近に見すぎたせいで、死ぬことが怖くないんです。終戦のとき私は20歳で、勤労動員された学生でした。戦争中は「今日死ぬか、明日死ぬか」ばかり考えていました。ようやく戦争が終わったあとも「今日の食べ物をどうするか」で精一杯。青春などありませんでした。

 若い頃は直面していた死について、再び考えるようになったのは、90歳を目前にした頃でした。そして「死んでも公表しない。葬式も、故人を偲ぶ会もやらない」と決めて、周りの人に頼んであります。けれども、もっと早く準備しておけばよかったと思うんです。

ADVERTISEMENT

©鈴木七絵/文藝春秋

 たとえば、自分が死んだときに臓器を提供するかどうか、15歳から意思表示ができるようになっています。同じように、20歳になったら毎年の誕生日ごとに、自分がどんな死に方をしたいか考えたらどうでしょうか。お誕生日は、ひとつ年を重ねたお祝いであると同時に、いつやってくるかわからない死に一年近づいたことを意味する日です。そこで、この一年生きてこられたありがたさを噛み締めつつ、死に方について考えるのもいいのでは? 去年「延命治療は一切拒否」と決めたとしても、そのあとで恋人ができたり家族が増えたから、今年は「少しでも延命の可能性があるなら、生かして欲しい」と変わったってかまわないのです。

『安楽死で死なせて下さい』(橋田壽賀子 著)

 いますぐ安楽死したいと考えている私だって、今日はお医者さんに行ってきました。血液検査をして、お薬をもらってきました。いつ死んでもいいけど、生きているうちは元気でいたいからです。大型客船「飛鳥Ⅱ」の来年の世界一周クルーズに申し込んで、お金も払いました。身の回りのことを自分でできて、楽しみがあるうちは、もうちょっと生きていてもいいかな、と思っているんです。

 若いときから死に方について考えることは、生き方を見つめ直すことになるし、人生を豊かにしてくれるはずです。

#2へ続く)

安楽死で死なせて下さい

橋田壽賀子(著)

文藝春秋
2017年8月18日 発売

購入する
橋田壽賀子と安楽死#1「そろそろ、おさらばさせて下さい」という権利があってもいい

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー