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大宮 冬洋
2017/08/28

生き残る「地方豪族企業」――東三河「サンヨネ」、函館「ラッキーピエロ」……驚きの経営哲学

大宮冬洋×北尾トロ

「人口減の日本にいても未来はない」「成長か、死か」と“意識の高い”経営者は叫ぶ。だが、本当にこうしたグローバル企業が人々を幸せにするのだろうか。地方に移住したライターたちが地元に根を張る「豪族企業」を訪ねると、そこには驚きの経営哲学があった。

文・写真:大宮冬洋/出典:週刊文春2017年7月27日号

◆ ◆ ◆

 妻の職場と実家が愛知県にある。僕は次男で自由業でバツイチ。5年前に再婚したとき、東京に住み続ける選択肢はなかった。

 愛知と言っても名古屋ではない。僕が住んでいるのは豊橋を中心とする東三河地方にある蒲郡市。駅前の商店街が衰退した地方都市で、夜は真っ暗になる。

 住み始めて半年間ほどは閉塞感が募った。用事を作ってはにぎやかな東京に「帰る」ことが嬉しかった。

 ある日、妻の両親からサンヨネ蒲郡店を教えてもらった。自宅から徒歩15分ほどの食品スーパーだ。

東三河の雄・サンヨネ

 看板には、3人家族が食卓を囲む影絵の上に「おいしさ100%」と書かれてある。オシャレさはない。

 ただし、肝心の商品には圧倒された。特に海産物がすごい。鰹節だけで何十種もあり、多様な魚の鮮度は抜群。そして安い。

鰹節がズラリ

 店内が混雑していても客の表情は穏やかで、のんびりと買い物を楽しんでいる。大手スーパーにありがちな殺伐とした様子とは正反対の光景がそこにあった。

 僕は新卒でユニクロに入り、1年間だけ社員をしていた経験がある。ユニクロでは、スタッフの頭数と勤務時間を掛けた「人時(にんじ)」という考え方が徹底されていた。すべての店舗作業を「何人時で終えるべきか」とあらかじめ設定し、それによってアルバイトの出勤数などを決める。割り当てられた作業を各自が時間内に必死で終わらせなければならない。とても効率的だけど、人間的な接客などはしにくい仕組みだ。

 対照的にダサ可愛くて、あったかいサンヨネ。僕はすっかりファンになり、蒲郡に遊びに来た友人を案内するようになった。

 僕にとってサンヨネは単なるスーパーではない。誇らしい観光名所なのだ。

「大宮くんはサンヨネの話をよくしているね。サンヨネみたいなローカルチェーンは全国にあると思う。他の地域の人は知らなくても、地元では絶大な人気があったりする。取材したら面白いと思う」

 声をかけてくれたのは、先輩ライターの北尾トロさん。彼も家族とともに東京を出て、長野県松本市に住んでいる。移住組の僕たちだからこそ、やたらに元気な「地方豪族」が頼もしく映るのかもしれない。

 北尾さんと話し合って決めた「地方豪族企業」の条件は3つ。

●東京進出などはせず、地域密着型である
●5店舗以上を展開し、点ではなく面で商売している
●30年以上の歴史があり、世代を超えて愛されている

 戦国時代に例えるなら、天下統一を目指す織田信長ではない。先祖代々の土地を守り、民からも慕われている小領主だ。彼らは何を大事にして、どのようにして生き抜いてきたのか。

 まずは僕が毎週通っているサンヨネから。本拠地は蒲郡ではなく、本店を含めて3店舗を展開する豊橋市。その他、豊川市に1店舗、我が蒲郡市に1店舗。計5つの店舗を経営している。いずれも東三河地方だ。

 僕は車の運転が苦手なので、豊橋駅から市電に乗り替えてサンヨネの本部へと向かった。大きなビルはない。豊橋市内にある「東店」の2階が本部を兼ねている。事務所の広さは小学校の教室2つ分ぐらい。そこに経営陣と事務員たちが机を並べている。

営業本部長の三浦氏

 明治25年に海産物問屋として創業したサンヨネ。サンヨネの名前の由来である創業者の三浦米三郎以来、経営者は代々三浦家で、現在のトップは代表取締役であり営業本部長の三浦和雄さん(61)だ。

 12年前、蒲郡店開店と同時期に創られた社是がある。「ステキな会社をつくりましょう」。三浦さんによれば壮大な志が込められている。

「社員や消費者だけでなく、生産者や物流会社、店舗の清掃をやってくれる方に至るまで、サンヨネに関わるすべての人が幸せになる仕組みをこの21世紀に作り上げたいのです」

 やや早口で情熱的に語る三浦さん。「宗教団体なのか?」と怪しんでしまうような理想論である。