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片山 杜秀
2017/08/26

ベートーベンの戦争、ワーグナーの挑戦 西洋近代史は音楽で学べ!――学校では学べない世界近現代史入門

宗教対立、消費社会、戦争、革命――。クラシック音楽の巨匠たちはダイナミックに時代を生きた。知のスペクタクルの開演!

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 近現代史と音楽史を重ねてお話しするという、たいへん大きなテーマをいただいたのですが、まず一般に皆さんがイメージされるのは、「音楽の父」バッハに始まり、「天才」モーツァルトなどが活躍して、「楽聖」ベートーベンが頂点を極め、さらにワーグナーが壮大な総合芸術にまで高める、といった音楽史ではないでしょうか。もっと古くに遡れば、ルネサンスにおける近代的精神の目覚めに始まり、宗教や中世的な身分のくびきから脱して、自由な創造性の発露として芸術が発展する。そういった進歩史観に基づく、しかも音楽だけの自律的な歴史として語られてしまうわけです。

 しかし、音楽などの芸術は、その時代の社会に受け入れられ、支持されてはじめて成り立つ。音楽家は芸術家である前に生活者。芸を売って食うということです。「芸術家」を「芸人」くらいに言葉を変換してみてください。音楽史は政治史や経済史や社会史と重ねて考えないと見えてこないのです。

宗教改革で音楽は単純化した

 そこでまず大きなポイントとして考えたいのは、16世紀ごろに始まる宗教改革の時代です。

 この時期、音楽の主役はやはりキリスト教の宗教音楽でしょう。ルネサンス期には、ローマやヴェネツィアなどの大教会を中心として、神に祈りを捧げる合唱音楽が発達しました。合唱と言っても、同じメロディを皆で揃って歌う斉唱ではなく、5つとか6つとかのパートに分かれて、それぞれが違うメロディを組み合わせる。高度で複雑なものです。しかも、そのパートの配分は、主旋律と伴奏、主役と脇役というふうに、主従関係になっていない。相異なる旋律線が対等に巧緻に絡み合って織りなされる合唱音楽、音楽用語で言うとポリフォニーの音楽です。

 なぜそんなややこしい音楽を作るか。その複雑さがそのまま、神の作り上げたこの世界の荘厳な秩序の反映のつもりなのですね。そういう音楽の最後の頂点を極めた作曲家はパレストリーナ(1525~94)です。当然ながらそういう複雑な宗教音楽を演奏するには、技量のある合唱団が必要です。たくさんの声部に分かれているのだから人数も要る。当時、神父の説教はラテン語でしたから、当然、歌もラテン語。そのうえ緻密な織物のようなポリフォニーの音楽ですから、歌詞はほとんど聞き取れない。一般の人々は聴いても理解できないけれども、なんだか有難いと思う。そういう猛烈なハイ・カルチャーの音楽になっていました。

 それが宗教改革になると、ルターなどはドイツ語での説教を始めます。一般の民衆にも話の内容がわかる。ルターは、教会で歌われる歌も歌って意味の分かるドイツ語の賛美歌に代える。メロディもシンプルで覚えやすいものに。プロテスタントは音楽にも革命を起こしました。

ルター ©iStock.com

 一方、カトリックの方でも変化が起きます。宗教改革によってローマ教会の勢力が弱まるのと並行して、オスマン帝国が台頭し、イタリアの自由貿易都市が地中海の制海権を失っていく。するとお金が無くなります。かつてのような大規模な聖歌隊などはもう維持できません。

 また内容的にも、ローマ教会の絶対性が揺らぐ過程で、音楽が神の秩序の表現から離れてゆきます。人間の生々しい感情を音で表出したい。たとえばドロドロの恋愛とかをオペラにしたい。ポリフォニーが廃れ始め、モノフォニー、つまりモノ=単一=1本のメロディを一人の人間が歌いまくって、他は伴奏に回る音楽が急激に発達しだす。人間性の解放ですね。秘められていた欲求が露出して爆発します。

 そんな新しい時代を切り開いた作曲家の代表はモンテヴェルディ(1567~1643)。明確な旋律線、聞き取りやすい歌詞で人気を博し、1607年には音楽史上最初期のオペラのひとつ「オルフェオ」を発表しました。ギリシャ・ローマ神話に託して、同時代の人間の感覚に即した愛欲や怨恨などを積極的に表現するようになるのです。

 こうした変化は、見方によっては音楽の退化ともいえます。複雑なものが単純になったのですから。しかし、その一方で、メロディは明快になり、歌手や演奏者の個性が前面にでてくる。これが宗教改革から100年弱の間に起きた変化でした。神の秩序の表象としての音楽から、人間の魂の叫びとしての音楽へ。大転換が起きたのです。