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「メタルギア」の小島秀夫が考える“エンタメが戦争から逃げられない”理由

小島秀夫が観た『ダンケルク』

2017/09/03

genre : エンタメ, 映画

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『メタルギア』を生んだ『大脱走』の思想と構造

 敵と戦わずに逃げることで勝利する戦争映画といえば、我々は古典的な傑作を知っている。1963年に公開された『大脱走』である。改めて述べるまでもないが、第2次世界大戦時に、脱出不可能と言われたドイツ軍の捕虜収容所から、集団脱走を試みる連合軍兵士の群像劇だ。『ダンケルク』同様に、実話に基づいた映画である。

 前線に出向いて銃で敵を倒すことだけが勝利ではない。逃げることも抵抗の証であり、それがドイツ軍を撹乱し、戦況に関与することで勝利に導く。そのことを描いた「反戦」映画でもある。

『大脱走』の構造と思想をインスピレーションのひとつとして生まれたのが、『メタルギア』(1987年)だった。

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『メタルギア』(1987)

 すでに何度も語っていることだが、会社から私へのオーダーは「戦争ゲームを作ってくれ」というものだった。ところが、当時のハードウェアには、戦場の最前線を再現する性能はなかった。その制約から生まれたのが「戦闘を避け、敵から隠れて進む」ステルス・ゲームの祖である『メタルギア』だった。

 前述したように1985年に生まれた『スーパーマリオブラザーズ』ですら、記号化されたキャラクターを「ジャンプ」と「走る」という二つの動詞(動作)で操作することで、ゲームとして成立させていた時代である。

 1962年の『スペースウォー!』では人間の記号化も無理だったので、楔と針の形をした宇宙船を作り、背景を省力化できる宇宙空間で戦わせていた。その後、1970年代に『ポン』や、『スピードレース』『スペースインベーダー』などが登場し、ビデオゲームは成長し、拡大していく。

 しかし、その構造、すなわち、記号を操作して「アクション」させるという基本動作は変わらないままだった。

単純な動作のゲームに「競争」という要素が入る

 その単純な動作にプレイヤーを感情移入させるための仕掛けが「競争」という要素だった。シューティングであれ、カーレースであれ、テニスゲームであれ、相手(それがCPUでも友達でも)との勝負がゲームの本質だ。その勝負のひとつの手段が「戦闘」だった。そこに複雑な説明はいらない。マリオですら、ピーチ姫を救うために敵を倒す(しかし、物語の設定としてのマリオとクッパの敵対関係は描かない)。

 表現能力に乏しいゲーム機でユーザーを遊ばせるには、単純なモチベーションが必要だったのだ。

 同時に、このようなシンプルさは、容易に国境を越える。「競争」という「アクション」は、わかりやすい。キートンやチャップリンのサイレント映画が全世界で受け入れられたのと同じだ。

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 この構造は、現在の最新のゲームにも継承されている。3DでもVRでも基本は同じだ。テクノロジーの多くはシチュエーションに没入させるための臨場感を作るために使われる。余計な説明を排し、「敵が攻撃してきたから戦う」というアクションに導く(ワールドワイドで売れるために、敵は宇宙人やファンタジー世界の魔王のような架空の存在になっているが)。

『ダンケルク』は、戦場の臨場感を演出しながら「逃げる」、つまり「生存する」という「アクション」で映画を成功させた。これは戦争映画のひとつの究極だろう。
映画は一方向のストーリーテリングなので、アクションの選択は監督が握っている。そのため、これまでに「戦闘を描かない戦争映画」の秀作、傑作が生まれてきた(近年では塚本晋也監督『野火』や、ネメシュ・ラースロー監督『サウルの息子』などがあげられるだろう)。