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大泉洋が小説に“初主演”!? 完全あて書き『騙し絵の牙』の新しさとは──「作家と90分」塩田武士(前篇)

話題の作家に瀧井朝世さんがみっちりインタビュー

2017/09/02

genre : エンタメ, 読書

note

出版業界の話を通して働く人みんなが共感できるように──それこそが社会派小説

――人と人の間の壁を溶かすのはまさに今回の主人公、速水そのものですよね。でも大泉さんに当て書きした部分もあれば、取材した出版関係者の言動も速水のそれに反映されているわけですよね。

塩田 『罪の声』をリアルフィクションということでやった時に一番反響が大きかったのが、どこまでが現実でどこまでがフィクションか分からないという。この作品もそうです。

――じゃあ、バリカンのシーンは、実際に実在の編集者のエピソードなんでしょうか。速水が『メモリーグラス』を替え歌で歌うところとか。

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塩田 答えは一切言わないです(笑)。ただ、『メモリーグラス』に関しては、作中には書いていませんが、フルコーラスの歌詞を作りました。実際、僕が新聞記者時代、サツ回りの時に先輩に歌わされたんです。「水割りをください 涙の数だけ」の歌詞を「特ダネをください 夜回りの数だけ」って(笑)。大泉さんがご提案くださって速水が元新聞記者という設定になったのが、こういうところで活かせました。

©佐藤亘/文藝春秋

――出版業界周辺のさまざまな状況は現実味がありました。紙の雑誌がどんどんなくなって、電子書籍に切り替わって……。

塩田 雑誌はピーク時の57%減と言われています。2016年には41年ぶりに書籍の販売数を下回ったんですね。dマガジンの台頭があったりして、今まで出版されてきた紙の雑誌というのは難しくなっています。そういう新旧の出来事をおさえて、その間に主人公を立たせました。つまり、昔のやり方で成功してきた速水が、これからのやり方で成功しないといけなくなる。端境期にいるわけです。これは出版業界だけでなく、いろんなところを取材すると、みんな「今は端境期だ」と言いますね。根本は95年に情報革命があったからです。情報の量が飛躍的に大きくなって、できることが変わってしまった。それでみんな苦しんでいるところがあります。だから出版業界の話を通して、働く人みんなが共感できるところにまでもっていこうと考えました。それこそが社会派小説ですから。

――作中の企業名は違いますが、Amazonのような外資の企業のことも盛り込まれていますね。

塩田 日本独特の文化で、作家が小説を書く時、まず連載があって、それを単行本にして、その後文庫にして、という流れがあります。外資の企業にしてみたらまどろっこしいでしょうね。僕が取材を始めた頃から、Amazonが直接作家にコンタクトを取っているという話も耳にしました。

文化には数字で表せる部分と表せない部分があって、その両方を大切にしないといけない

――パチンコ業界のような他業種と出版界の関係性についても興味深かったです。

塩田 別の取材をしていた時、今はパチンコ業界が総合コンテンツ業を目指していて、コンテンツ事業部があるところもある、と耳にしたんです。その時、この先出版社という箱が要らなくなると考えたら怖くなった。それで、実際にそのコンテンツをやっている人に長時間インタビューをしました。そうしたら彼ら自身の苦労も知ることができました。

 最終的にコンテンツ勝負となった時に、出版社の意義って何? となりますよね。理論上は要らないということになるけれど、文化には数字で表せる部分と表せない部分があって、その両方を大切にしないといけないと思う。だから出版社の意義というのもこの小説ににじませたかった。最後の最後に、速水が熱弁をふるいますが、あそこは自分の出版社に対する愛情というのがありました。僕は編集者に育ててもらったし、出版社のいろんな人が僕の知らないところで営業活動や宣伝活動をしてくれている。それでやっと自分が小説家として立っているので、その意味を噛みしめながら書きました。それは古い感覚やと思われたらおしまいなので、そこは気を付けて書いています。

――出版社内の派閥争いや労働組合のことも描かれますね。

塩田 組織には派閥がありますよね。小説の中でしょうもないことで争っているのがリアルに感じられるのはどうしてかというと、現実社会においても非常に無駄なやりとりがあるからです。組織というのはそういうものを食べて大きくなっているところもあるので、そこは無視できませんでした。

 組合は、記者時代に代表として1年間労使交渉をしました。『ともにがんばりましょう』(12年刊/のち講談社文庫)にも書きましたが、ひとつ看板のもとに社員がいると思ったら、考え方がまったく違う。こりゃまとめるのは大変やわ、と思います。最終的にこの会社が何を目的にしているかを見失ってはいけないのに、目先のピンチに揺れ動いてしまっている。

 中央委員会で速水に何を言わせるかは、伏線に入れつつも、ずっととっておきました。取材するごとに、最低限言わせる内容が増えて、密度が濃くなっていきました。密度が濃くなるとリアルに感じられるし、人間というものを感じられるだろうと思って。