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小島 秀夫
2017/09/10

小島秀夫が観た『エイリアン:コヴェナント』

ユニバースの創造主は誰か?

genre : エンタメ, 映画

『エイリアン』の作者は誰だろう?

 リドリー・スコット? いや、違う。彼は映画の企画が動き出した後に、20世紀フォックスと契約を結んだ監督という立場でこの作品に携わった。

 H・R・ギーガーは、もちろんエイリアンをはじめとする造形物のデザイナーだ。

『エイリアン』の原案を作ったのは、脚本も担当したダン・オバノンである。ではオバノンこそが『エイリアン』の作者なのだろうか。しかし、どうもそうではないようなのだ。

 リドリー・スコットによる新作『エイリアン:コヴェナント』を観ても、その疑問は解消されない。むしろ深まるばかりだ。

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『エイリアン』がB級ホラーSFでない理由

 1970年代半ば、『エイリアン』の原型となる脚本を執筆していたダン・オバノンは、『デューン』の映画化を進めていたアレハンドロ・ホドロフスキーに声をかけられた。しかし『デューン』の企画は中止となり、オバノンは脚本の執筆を再開する。友人の助言や、別の企画として進めていた脚本との融合などを経て、ゴードン・キャロル、デイヴィッド・ガイラー、ウォルター・ヒルら(のちに『エイリアン』のプロデューサーとなる3人)に認められる。

 だが、当時はSF映画に資金を提供する映画会社などなかった。SFはB級で売れないもの、と相場が決まっていたのだ。状況が一変するのは、『スター・ウォーズ』や『未知との遭遇』のヒットによるSF 映画ブームの到来だった。20世紀フォックスは映画の製作にゴーサインを出し、企画は動き始め、1979年に公開される。

 完成した映画は、限定された空間に怪異が侵入するというゴシックホラーのモチーフを宇宙船に置き換えた、SFホラーだった。さらに、メジャー級の役者が出演していないどころか、最後に生き残るのは、当時は無名の女優だったシガニー・ウィーバーであるなど、メジャーなハリウッド映画の文脈から外れていた。それにもかかわらず、映画はヒットした。

 いやむしろ、ハリウッド映画の文脈から外れていたからこそ、『エイリアン』はB級ホラーSFではなく、斬新で、芸術的な衣装さえまとった傑作になったのだ。エイリアンの姿を明示せずに恐怖を煽る演出や、労働者階級の鬱屈が滲み出てくるような閉塞感などは、SF映画の可能性を更新した。

 宇宙船内の描写も新しかった。当時のSF映画は、無機質で機能的で、いかにも未来を感じさせるような宇宙船や都市の描写を好んでいた。それらは多くの場合、選ばれたエリート層が暮らすハイテクでクリーンな場所として描かれていた。しかし、舞台となる宇宙船ノストロモ号は、労働者が汗を流して働く工場のような場所として描かれた。そこは、薄暗く、パイプから排水のような液体が滴り落ちている場所だった。エイリアンの造形や、船内でクルーが着ている“つなぎ”のような作業着、レトロな潜水服を思わせる宇宙服など、斬新なビジュアルに満ちていた。

 これらはリドリー・スコットの功績はもちろんだが、ギーガーやメビウスらのデザインによるところも大きい。

 そして、彼ら異能のデザイナーを呼び込んだのは、『デューン』時代に培ったオバノンの人脈のおかげだ。卵から幼生、成体へと変態していくエイリアンのアイディアは、オバノンからギーガーヘ、直接、伝えられている。胎内に宿り、変態を繰り返して進化する、というのがエイリアンのコンセプトだった。さらにエイリアンによるレイプというモチーフもすでにあったという。