文春オンライン

「ストレスはゼロだった」中国ネトゲ廃人の帝王が語る無責任生活

中国格差社会の極北の世界

2017/09/01
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子どものころから孤独だった

――ところで、田舎(故郷の湖南省)にお婆ちゃんがいるんですね。ご両親は?

鉄牛 俺、実はほとんど孤児みたいな生い立ちなんだ。両親は出稼ぎ農民でずっと家にいなくて、俺が3歳の時に離婚した。それからずっと父方の婆ちゃんに育てられた。婆ちゃんは今年80歳になる。

都市の繁栄とは裏腹に生活水準が向上しない中国農村部。産業がないので親世代は出稼ぎに行かざるを得ず、祖父母などに面倒を任せた留守児童が生まれ続ける(写真は河北省の農村部で筆者撮影)。

――留守児童(※)だったんですか。実は私が他に取材した三和ゴッドもそういう人が多かったんです。お父さんやお母さんと年に1回会うかどうかだったというような。
※出稼ぎ者の両親と離れて暮らし、祖父母などに育てられている子ども。中国の大きな社会問題になっている。

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鉄牛 そうだろうな。おまけに俺の場合は、7~8歳のときに両親がそれぞれ再婚して新しい家庭を作っちゃった。俺は彼らにとって完全に邪魔者で、親の愛情を知らずに育った。周囲の子どもは親がいるから、仲良くなれなくてずっと孤独だった。いつも周囲から軽蔑されているような気持ちだったよ。俺は中坊のときから地元のネカフェに入り浸ってずっとゲームばかりしていたんだけど、それってリアルの友達があんまりいなかったからなんだよな。

――学校は?

鉄牛 中卒だ。育ててくれた婆ちゃんにはすごく感謝している。でも、あの世代の田舎の人だから、子どもに学問を受けさせるって考えがなくて。家にカネもなかったから、俺は高校に行きたいって言えなかった。だから15歳で地元を飛び出して深センに来たんだ。

――昔ならともかく、2010年の深センでしょう? 15歳で仕事があったんですか?

鉄牛 あったけど、時給4元(約66円)とかのめちゃくちゃなヤミ工場だった。(中国にも)労働基準法はあって、就労年齢も最低賃金も決まっている。でも、そのときの俺は15歳だから法律を守ってるような会社では働けないよね。最初の工場では月給1200元(約2万円)をさらに900元ピンハネされて、社長の家の前に文句を言いにいって突っぱねられて、その場で泣いた。ずっと泣いていたら、社長の愛人みたいな女がやってきて80元(約1300円)だけ俺に渡したんだ。なめるなと思った。

――きつすぎる。

鉄牛 それからいろんな工場で働いたし、他の仕事もやった。で、小金を貯めて食堂をやろうと思ったら2ヶ月で潰れて、あとはさっき話した通りの経緯で三和暮らしさ。人生投げちゃおうかなと思ったんだよ。結局、やっぱり真面目に働くことにしたけどさ。

――そこで三和を抜け出して、現在はフィットネスクラブの従業員なんですね。でも、ここ(鉄牛が取材地点に指定した中国系ファーストフード店)は三和よりもさらに郊外で、空き地だらけです。こんな場所でフィットネスクラブって流行るんですか?

鉄牛 これから宅地開発するから新しく店を出したみたいだな。割とお客は来てる。この職場は友達の紹介だよ。もともと運動する習慣はなかったけど、健康的な場所で働いてるから俺も健康になった。まだ借金は残ってるが、親戚に借りたぶんは少しずつ返してるよ。

現在の鉄牛が暮らす街の付近。一応は中国随一の金持ち都市・深センの行政区画内だが、都心との距離感や街のイメージとしては松戸の近辺あたりの快速が停まらない街に近い感じである(広東省深セン市郊外某所で筆者撮影)。

――将来の夢は?

鉄牛 いつか車買ったり家買ったりしてみたいかな。あと、日本人に会うのはあんたが初めてなんだけどさ。俺は前からずっと日本に行ってみたいんだよなー。

――日本に行って何するんですか?

鉄牛 日本のアダルトビデオが大好きなんだよ。思いっきりカネ貯めて、いつか日本に行ってものすげえ美人のAV女優と遊びまくりたい。1回遊んだらいくらぐらいかかるんだろ。知ってる?

――うーん、超一流の人じゃなかったら、たぶん5万円(?)ぐらいでそういうお店があるんじゃないですかね。航空券代と滞在費を合わせても、中国元で2~3万元準備すればなんとかなると思いますよ。

鉄牛 マジで!? そのくらいの金額なら貯めればなんとかなりそうだな。俺、明日から頑張って働くよ!

――ありがとうございました。

*        *

 当時のおそるべき自堕落生活を語りつつも、よくよく生い立ちを尋ねると極めて重い人生を背負っていた鉄牛。実は三和で暮らす人々は、いざ取材すると彼と同様の「留守児童」や、幼少期に崩壊した家庭環境で育った人も多かった。

 中国では従来、国家や社会のシステムがまったく頼りにならず、庶民の側もそんなものに何の期待も信頼も持たない時代が長く続いたため、中国人は伝統的に(自衛と助け合いの目的もあって)家族・親戚の血縁や地縁・学閥などにもとづく非常にディープで暑苦しい人間関係を築くことを好んできた。

 いっぽう、それらを投げ捨てて三和で一匹狼のネトゲ廃人として生きるような人は、もともとそうしたセーフティーネットからはじき出されがちな階層の出身者が、必然的に多くなりがちだという指摘も可能であろう。

三和の路地裏。現代中国イノベーションの象徴であるシェアサイクルが乱雑に投げ捨てられている(広東省深セン市龍華新区で筆者撮影)。

 多額の負債と弱き心を抱えた寄る辺なき男たちが集う深センのサイバー・スラム街、三和。華々しいニュースが目立ちがちな近年の中国社会の裏面を観察する上でも、今後もぜひ注目し続けたい場所である。

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