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連載平松洋子の「この味」

平松 洋子
2017/09/07

火事からわずか3日で営業再開、築地場外市場のたくましさ――平松洋子の「この味」

「築地場外で火事のようです」

 八月三日午後六時過ぎ。机に向かっていると、「本の雑誌」編集部、浜本茂さんからメールが来た。

©文藝春秋

 えっまさか。動転してテレビのニュースで確認すると、画面の映像に大きな衝撃を受けた。築地場外市場、もんぜき通り(新大橋通り)のまっただなかで火の手が上がっている。消防車が何台も出て消火活動中だが、炎も煙もひどい。近所の方々の顔がつぎつぎ浮かび、動悸がする。

 つい二日前、浜本さんと私はすぐ数軒先の「深大寺そば まるよ」を訪ねたばかりだった。「本の雑誌」に連載中の「そばですよ」、築地場外界隈について書いているところなのだが、じつは、この八月三十一日をもって「まるよ」は約半世紀の歴史に終止符を打つ。家族で話し合って決めた廃業。その前に、店主・織田善郎さんの妻、博子さんにも話を伺いたくて、浜本さんと築地を訪ねた。

 築地育ちの八十二歳。娘時代は、ここで明治生まれのおばあさんと甘味処「松竹」を営んでいた。昭和三十二年結婚、そののちそば屋に替え、場外の名物店として愛されてきた。

「築地のお客さんは『ちょっと待って』と言っても待たないひとが多いんです。ちょっとでも待たすと『いらねえ』。普通の街場じゃ考えられないでしょうけど、とにかく一秒でも早く仕入れて帰って、自分の店を開けなきゃいけないですから」

「まるよ」も毎朝五時開店、夫婦揃って働き詰め、築地の人々の胃袋を満たしてきた。なのに、火事とは。あとで聞いた話だが、報せを聞いて急遽駆けつけた夫の善郎さんは、煙に巻かれてゆく店を椅子に座ってじっと凝視していたという。

 十五時間延焼し、翌朝八時ようやく鎮火。昼過ぎ、おそるおそる新大橋通りをはさんで現場に向き合うと、火元のラーメン店「井上」を中心に七棟九三五平方メートル十七店舗がごっそり焼け崩れ、無残だった。

 しかし、ここはたくましかった。週明けの月曜、ふたたび訪ねると、「まるよ」営業中! ご家族の元気な顔を見て胸をなで下ろす。焼失した一角以外、もんぜき通りにひしめく床店(とこみせ/ずらっと並ぶ間口三尺×奥行き三尺の店を、築地ではこう呼ぶ)も、すぐ裏手の海鮮問屋や食堂も営業している。わずか三日後の再開に、築地のエネルギーを見る思いがした。

8月31日で歴史に幕を下ろした「まるよ」 ©文藝春秋

 築地四丁目、つまり築地場外市場のどまんなかで生まれ育った長老、九十二歳の菅隆志さんが言う。

「床店は板一枚で天井がつながっていて、長屋と同じ状態だから、火が屋根裏を這ってダーッと燃え広がってしまった。いま被災した店が大変なのは、商売をどこでやるかということなんです」

 もんぜき通りを歩くと、ブルーシートに貼りつけた仮店舗の営業案内や連絡先を記した紙片が目に飛びこんでくる。先行きを思い悩むより、目の前のお客さん、今日の商売。

 同じ築地四丁目育ち、八十三歳の荒井重雄さんの話。

「そりゃ火事はショックでしたよ。戻れるまで店舗の場所をどう確保してあげられるか、みんな協力し合っています。皮肉ですけど、築地市場の移転問題で場外が一致団結していたことも功を奏していると思います」

 築地市場は東京都の権利下にあるけれど、いっぽう、場外市場は個人が集まって商売繁盛を支えてきたのだから、人間どうしの繋がりが深い。

「人情味溢れる築地で上手なお買物」

 崩れてがらんどうの火事現場に、昔ながらの大看板が胸を張っている。

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