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世界一のパン屋を夢見る男「セイジアサクラ」とは

各駅停車パンの旅 五反田駅編

2017/09/06

genre : ライフ, グルメ

note

 もうひとつの修業先は、「フルートガナ」と呼ばれるバゲットで天下を取ったベルナール・ガナショー。古典的な製法「ポーリッシュ」を現代に蘇らせたレジェンドだ。

巨匠ジャック・タピオと若き日のアサクラ

 ガナショーにいた当時、四国の片隅から、知り合いとていない世界の中心にやってきたアサクラは、アイデンティティ・クライシスに陥っていた。来る日も来る日も、何百本というバゲットを焼きながら、悩みつづけた。

「窯の中に薪入れると、炎が燃え上がる。炎ってオレンジや赤というイメージありますが、実際の窯の中の色って青や黄色。もうまともに見れないぐらい熱い。その頃『バゲットの本質』ってなんだろうとずっと考えていたんですが、炎の中に見えた。
 そのとき見たのは、自分自身。なんでパンを作るか? 表現の欲求だと思う。誰だって、認められたいし、愛されたいから。
 バゲットっていちばんシンプルで、飾り気のないもの。すべて自分の手でやる。カミソリで入れたクープという数センチの自然現象でさえ、自分で調整した表現。
 じゃあ、フランスでいま自分が日本文化を背負ってバゲットを焼きつづける意味ってなんだろう。製法や粉なんていくらでもあるけど、パンの伝統はそれを超えている。たくさんの先人がいて、自分はパンの長い歴史のほんの一部分。先人の知恵を僕が身につけて、学んで、後世に伝えるにすぎない。
 葛藤をすべて超えて。何百年も継がれたものを、昔からのやり方である薪窯で焼いて。それをやった瞬間、劣等感とか悩みとかすべて落ちた」

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 彼はそのとき、日本に帰ってどんなパン屋をやるべきか悟ったのだ。

「高輪もパリも同じこと。フランスのパンをそのまま持ってくるとか、僕はまったくやろうと思わないです。フランスで表現の方法を学んで、日本で、日本のお客様に向かって表現するだけ。
 メロンパン、あんぱんは日本の文化。日本人としての誇り、大事な部分。僕はそれを先人から受け継いで、時代に渡すものとして、いかにおいしいメロンパン、あんぱん作るか。フランスも日本も関係ない」

 高輪のブーランジェリーセイジアサクラで作るアイテムの多くは、日本のパンである、あんぱん、カレーパン、食パン。だが、その表現は過剰で、独創的。いわばセイジアサクラのパーソナリティそのものだ。

柚子香るあんぱん。アサクラの故郷・徳島県の木頭村産ゆずから起こした液種を使用
チーズカレーパン。上にかかったチーズ、野菜ごろごろカレー、中からさらにとろーりチーズが出てくるサプライズ
アロマホップ生クリーム食パン。ホップの爽快な香り、ふわふわでなめらかな生地は食パンの理想郷

 チョコレートパンでいえば、フランス流のパン・オ・ショコラではなく、日本のクリームパンスタイル。チョコクリームがどろっと舌の上にのり、カカオ感とミルキーさが口の中いっぱいに広がる。そのとき、さわやかでキレキレの柑橘風味がどこからともなくやってくる。「ゆず酵母」の香り。和でありながら、ショコラオランジュ(チョコレートとオレンジ)的快楽としてアサクラの修業先フランスに思いを馳せさせる。

チョコレートパン。やわらかなパンの中から、どろーりたっぷりのチョコクリーム

「酵母」こそ、現在のアサクラのアイデンティティだ。彼が操るのは、ゆず、レーズン、ホップの3種。生地から漂いだすそれらは、姿は見えないのに強烈にアサクラの個性を主張する。

「酵母は生き物だから、作り手の生き様というところに行き着く。自分がどう生きるか? どこまで腹くくってるか? パンに身を投じられるか? 人生を捧げられるか? そこまでやらないと、酵母のおもしろさがわかんない。(酵母という)命を起こして、命を継いで。お客さんがそれを食べて、(自分の)命を継ぐ。それが、酵母に身を捧げると見えてくる」