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連載読書間奏文 藤崎彩織(SEKAI NO OWARI)

犬の散歩――読書間奏文 藤崎彩織(SEKAI NO OWARI)

 貧乏の味を知っている。

 デビューする前、私の所属するバンド「SEKAI NO OWARI」はとても貧乏だった。

 どのくらい貧乏だったかと言うと、ペットボトルの水を買っている友達のことを僻んで

「あいつは親の金で生活しているに違いない」

 と、陰口を叩いてしまうほどの貧乏だった。

 ミュージシャンになるには、お金がかかる。楽器代、スタジオ代等々。特に、ライブ出演代にはどんなミュージシャンも悩まされたことがあるのではないだろうか。

 それに加えて、私たちは、ライブハウスを自分たちで作っていたのだ。ステージを作るための木材代、柵を作るための鉄代、照明器具や音響にかかる設備代など、全て合わせると、数百万円の借金になった。

 まだ二十歳になったばかりなのに、私は大学に通いながら地道なアルバイトで何とか毎月のローンを払い続ける生活を強いられた。学生にピアノを教えるアルバイトから、しゃぶしゃぶ屋の仲居さん、居酒屋のキッチン、果ては薬の治験まで。

 お金がもらえればどんなアルバイトでもよかった。ローンに追い立てられるように、私は貧乏時代を走り抜けた。

 

 いくつもアルバイトを掛け持つと、自ずとお金に対する価値観が出来てきた。

 例えば、成人式の飲み会の会費が三千円だと聞いた時。

 友達には会いたかったが、三千円は私の時給三時間分だった。

 飲み会に三千円を払ってしまうと、ローンを払うためには三時間アルバイトを増やさなくてはいけなくなる。アルバイトの時間を増やすと、今度はバンドの練習をする時間が無くなってしまう。身を削るようにしてアルバイトをしているのは、バンドの為であって、友達とお酒を飲む為ではない。私は泣く泣く友達に会いに行くのをやめて、成人式の日もアルバイト先へと向かった。

 バンドとアルバイト、それに大学生活も重なり、不規則な生活が続いたせいで、肌が荒れてしまった時もそうだ。

 母は私の頬に出来てしまった幾つものニキビを見るなり

「病院へ行きなさい!」

 と悲鳴をあげた。私だって、自分の頬に出来ているニキビが、皮膚科に行かなくてはいけない位酷いことは分かっていた。

 けれど、そんなお金はない。

「お金が無いから……」

 間接的に金銭を無心するような私の声を聞いて、母はため息をつきながら鞄から財布を取り出した。そしてそこから五千円札を一枚抜いて

「これでちゃんと皮膚科に行くのよ」

 と手渡してくれた。

 私は久しぶりに見る五千円札に、手が震えた。

 これでステージ用の木材が買える!

 とっさに、そんなイメージが頭に浮かんでしまった。

 私は一体、何を考えているのだろう。母がせっかく娘の顔の為に出してくれた五千円なのだから、木材などに使ってはいけない。私の顔は木材以下ではないはずだ。それに病院に行かずに、ニキビが治らないままでいれば、そのうち母だって気づくはずだ。

 私はこの五千円で皮膚科に行かなければいけない!

 それでも、私の頭の中からステージのイメージが消えることはなかった。

 ステージに上がってメンバーが演奏している姿。お客さんがこちらに向かって手を挙げている未来……。

 五千円の匂いは、そんな映像を浮かび上がらせた。

 私は結局、その足でホームセンターへ向かった。そして、五千円を木材に変えてしまったのだった。