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「ヒガシとは待遇が違いすぎて…」 “ジャニーズ退所”少年隊・植草克秀、錦織一清がこぼしていた「格差」

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「この度、弊社所属タレント錦織一清・植草克秀(少年隊)は、2020年12月31日をもちまして、ジャニーズ事務所所属タレントとしての活動を締め括り、新たな道へと進みますことをご報告申し上げます」

 少年隊の錦織一清(55)と植草克秀(54)が、12月31日をもってジャニーズ事務所を退所することが9月20日、公式サイトなどで発表された。

 東山紀之(53)は残留。ジャニーズ事務所は、今後、少年隊がグループとしての活動予定がないことも示しながら、「ジャニーが生み育てた少年隊につきましては、その功績と少年隊そのものは残したいというメンバーの意向を尊重し、これからも所属グループとしてその名を残すことといたしました」と説明した。

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ファンの間で名盤と言われるアルバム『prism』(1999年発売)のジャケット

事務所内で「特別な存在」だった東山

 少年隊は、1985年に「仮面舞踏会」でデビューしたが、グループでの活動は81年から始まっていた。テレビ東京「ザ・ヤングベストテン」にレギュラー出演。80年にデビューした田原俊彦、近藤真彦のバックダンサーを務めていた。もっとも、当時のメンバーは、錦織、植草、松原康行(芸能界引退)の3人。東山は82年春から、松原と交代する形で加入した。

 メンバー交代の理由は明らかにされていないが、当時から、東山は事務所内で「特別な存在」だった。小学6年の時、丸刈りの東山少年が、渋谷のスクランブル交差点で信号待ちをしていると、ジャニー喜多川社長(当時)が、車から降りて声をかけてきたという。ジャニー氏は、オーディション参加者に同行していた少年に「ユー、やっちゃいなよ」と誘うことはあっても、路上でのスカウトは珍しいケースだった。

「ジャニーさんは、東山さんをソロデビューさせる可能性も探っていたようですが、先にシブがき隊がデビューし、男性アイドルグループの注目度が高まってきた。その流れもあって、人気が出てきた少年隊で、メンバーとして活動させることにしたようです」(当時を知る芸能関係者)

仮面舞踏会(1985年)のジャケット。3人とも20歳前後だった

 運動神経と身体能力に優れた東山の加入で、バク転、バク宙を得意にする少年隊のパフォーマンスは、際立っていった。そして、85年の「仮面舞踏会」で大きなムーブメントを起こしたのだ。