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連載高野秀行のヘンな食べもの

高野 秀行
2017/09/12

ワニの刺身は透き通るようなピンク色だった!――高野秀行のヘンな食べもの

イラスト 小幡彩貴

『古事記』に「因幡の白兎」という有名な物語がある。兎が海を渡るのにワニを騙して水面に並ばせ、その上をひょいひょい伝って歩くが、最後の最後で嘘がばれ、怒ったワニに皮を剥ぎ取られてしまうという話だ。私は昭和四十年代にこの伝説を絵本で読んだのだが、そこでは本当に爬虫類のワニの上を兎が歩いていた。

 あとで考えれば、日本にワニは生息していない(海にも棲んでいない)。ワニとは「和爾」と書き、古語で「鮫」のことなのだ(今でも出雲地方では「ワニ」)。恐らく、無知な編集者がワニ=爬虫類だと思い込み、そういう本を作ってしまったのだろう。古き良き昭和のお話だ。おかげで私は大人になって初めて自分が騙されていたことを知ったのだった。

 ワニは古代、日本人には身近にして重要な魚だったらしく、貝塚でも鮫の骨が発見されているし、『風土記』や『延喜式』にも鮫漁について記述がある。また、今でも伊勢神宮には鮫の干物がお供えされるそうだ。

 そんな由緒あるニッポンのワニ(鮫)を広島県の三次(みよし)市というところで今でも郷土料理として食べていると聞き、驚いた。私はアマゾンやコンゴでは爬虫類のワニを食べているが、日本の「ワニ」は食べたことがない。どんな味がするのだろうか。広島市で講演会があったので、その帰り、県内(福山市)在住の友だちに車を出してもらい、三次市を訪れた。

 瀬戸内側から行くと、三次市は遠い。「山奥」という印象だ。それもそのはず、ここは広島県ながら、地理的にも文化的にも島根県に近いのだという。鮫のことをワニと呼ぶのも、言葉が出雲弁に近いからだ。

「明治時代は島根から一週間くらいかけて漁師がワニ肉を大八車で運んできて、こっちの米と交換してたみたいですよ」と語るのは、ワニ料理の有名店フジタフーズの店主・藤田恒造さん。

 三次市でなぜ昔からワニを食べるのか。それは海から遠く鮮魚が手に入らなかったからだ。唯一、ワニ(鮫)だけは時間が経つとアンモニアが発生するため、腐敗菌を寄せ付けず、ひどいアンモニア臭さえ我慢すれば一週間前の肉でも刺身で食べることができる。かくして、三次市の人々は正月や婚礼、そして秋祭りの折にはワニの刺身を御馳走として食べていたそうだ。昔の人は「腹がつべとう(冷たく)なるくらいワニが食べたい」と言ったという。ワニ肉は腹を冷やすと思われていたらしい。もしかすると、それ以外に生の魚を食べる機会がなかったからそう感じたのかもしれない。

 ところが昭和四十年代、つまり私が絵本で騙されていた頃には、流通事情が大幅に改善され、ハマチやマグロの刺身が普通に食べられるようになり、ワニの御馳走感は薄れていった。平成に入ると、若い世代を中心にワニを食べなくなってきた。藤田さんはこの「ワニ離れ」に心を痛め、十年ほど前から、ワニの新しい料理を考案開発するようになった。店の壁は「ワニバーガー」「ワニソーセージ」「ワニサブレ」などなど、「ワニ」という言葉であふれ、なんとも昭和的な熱気。圧倒されつつ、まずは伝統の一品であるワニの刺身を頼んだ。

「今のワニは全然臭くないですよ」と藤田さんは言うのだが、「臭くない」は「美味しい」にはちっとも結びつかない。正直、全く期待していなかったのだが、出てきた刺身を見てびっくり。透き通るようなピンク色で、見るからに美味そうなのだ。以前、小泉武夫先生に御馳走になったミンククジラによく似ている。「ワニは鯨じゃないよな……」とまた何かに騙されているような気分になった。果たして味の方はどうなのか?

ワニ肉の刺身は透き通るようなピンク色