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宇都宮 直子
2017/09/08

浅田真央 “天才少女”の素顔

幼い真央は文藝春秋に著者を突然訪ね、警備員に帰された──

今年4月、一人のヒロインが引退した。
フィギュアの歴史を見つめてきた筆者が綴る
幼いころの真央との美しき思い出──。

 ◆◆◆

 フィギュアスケートのシーズンが、また始まろうとしている。それも、すごく特別なシーズンが、だ。

 2018年2月に、韓国・平昌(ピョンチャン)で冬季オリンピックが開催される。4年に1度というだけでも、十分に特別なのだが、ほかにも理由はある。

 前回のソチオリンピックチャンピオン、羽生結弦が二連覇を果たすかもしれない。叶えば、66年ぶりの快挙となる。

 羽生は、今春フィンランド・ヘルシンキで行われた世界選手権で優勝している。金メダル候補の筆頭だ。

 さらに、宇野昌磨もいる。宇野はヘルシンキで二位だった。ゆえに、彼も、平昌の優勝候補のひとりだ。金メダルへの挑戦権を持っている。

 オリンピックのメダルほど、人々が興奮するメダルはない。それがふたつ獲れるかもしれないのである。

 羽生結弦。宇野昌磨。彼らのいるオリンピックは日本フィギュアスケート史上、最強の布陣だ。

 思いを胸に秘めて、彼らは美しく闘う。観衆は胸を熱くして、痛くして、リンクを見つめる。きっと、なにかが起きる。彼らが起こしてくれる。それが、今シーズンだ。

 さて、フィギュアスケートは「男子だけのスポーツではない」。周知のことを、わざわざ書くのは、たった10年くらい前には「女子だけではない」と断らなければならなかったからである。

 現在は形勢が逆転している。圧倒的な人気を持つのは男子だ。だが、もちろん女子も頑張っている。

 たとえば、三原舞依はヘルシンキで5位になった。ショートでのミス(15位)がなければ、もっと上に行けたはずだ。

 怪我のため、ヘルシンキは欠場したが、宮原知子(さとこ)もいる。宮原は、全日本選手権を三連覇したエースである。

 女子の場合、羽生や宇野のように、代表が確実視されている選手はいない。代表には、誰が選出されるかわからない。

 ミスのできない、ぴりぴりした試合が続くだろう。その緊張が新しい時代を創っていく。華やかな彩りを、リンクに添えていく。今シーズンは、やはり特別なのだ。

 ◆

「特別」とは、少し意味合いが違うかもしれないが、理由はまだある。と、言っても、だいぶ個人的な理由だ。簡潔に言う。浅田真央が、いない。

 浅田は今年4月、現役から退いた。演技は、ショーなどを通じて見ることができる。だけど、これから先、どんな試合にも彼女はいない。

 浅田真央は、日本フィギュアスケートの宝だった(今も、そうだ)。

 登場以前と以後では、状況がまったく変わった。会場の雰囲気も、観衆の拍手も、リンクに投げられる花の数も違う。もちろん、チケットの売れゆきもだ。

2005年の浅田真央。その演技と笑顔で観客を魅了した ©文藝春秋

 ポニーテールの小学6年生が、ぽんぽんジャンプを跳んでいる。とても愛らしい少女だ。誰かは気づいていた。

 誰もが気がつくまでにも、そう時間は掛からなかった。浅田は、フィギュアスケートの人気に火を点けた。勢いよく、燃やした。現在の繁栄は、彼女が起点だ。

 浅田はトリプルアクセルを武器に、果敢に闘った。17歳で世界チャンピオンになった。バンクーバーオリンピック(2010年)では銀メダリストになった。

 ソチオリンピック(2014年)にも出場したが、悲願の金メダルは獲れなかった。6位だった。ただ、そのフリー演技はすばらしかった。

 スケートは滑らかで、優しかった。美しかった。多くの人々を魅了した。長く語り継がれる試合になったと思う。

 ソチのあと、1年の休養を経て、彼女はリンクに帰ってきた。だけど、過去のようには跳べなくなっていた。

 フィギュアスケートは、競技人生の短いスポーツだ。20代半ばで、もうベテランと呼ばれる。

 10代の選手に混ざっての闘いが、どういうものかはわかっていたはずだ。浅田は、勝てなくなった。世界だけではなく、国内でもだ。

 それでも、彼女は挑み続けた。厳しさが増す中、本気で勝とうとしていた。諦めようとしなかった。

 浅田は、一流の「闘う人」だった、ほんものだった。だから、たくさんの人が、愛したのだ。おそらく。

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