昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

村瀬 秀信
2017/09/14

ファミレス誕生秘話―黎明期

 小学生のころ、「すかいらーく」のハンバーグは何物にも代えがたいご馳走だった。美味しくて楽しくて、まるで遊園地に行くかのような高揚感に満ちていた。「あの看板の鳥は、チルチルミチルの青い鳥」とあまりにも毎日執拗にねだる息子に母は「あれは食べたらアホになるアホウ鳥だ」と嘯(うそぶ)いたほどである。

 外食チェーンの興りを探っていくと1970年という年に集約される。2月に米マクドナルドとの資本提携を探っていたダイエー創業者中内㓛が、東京・町田市に日本初のハンバーガーチェーン「ドムドムハンバーガー」を設立すると、3月には大阪万博に、福岡のロイヤルがレストランを出店して大盛況となった(翌年、北九州市に「ロイヤルホスト」1号店を開く)。

 そして7月。東京・府中市の国道沿いに開店した一軒のレストランが、我が国におけるファミリーレストランの始祖鳥、「スカイラーク」である。長野県諏訪市出身の横川四兄弟が作った日本で初めての“ファミレス”。その中心的存在が三男の横川竟(きわむ)だ。

すかいらーく時代の横川氏 ©文藝春秋

 横川は17歳で築地の食品問屋に奉公に出て、1962年、兄弟を呼んでひばりが丘でことぶき食品という食料品店を開く。いまでいうコンビニエンスストアのような業態だ。最大6店舗まで増えたが、大手の西友が出店してきて大赤字に。次の事業をどうするか考えたとき、当時の日本では遅れていると感じた外食産業に注目した。横川は言う。

「外食先進国のアメリカに視察に行きました。僕らが注目したのは特に『デニーズ』や『サンボ』など、アメリカではコーヒーショップレストランと呼ばれていた24時間営業の店。マクドナルドのようなファストフードと違い、テーブルサービスが重要なこの業態なら、自分たちがやってきた個人商店的な能力が活かせると考えたんです」

 1号店を作った「府中市の鳥」がひばり。かつて商店を経営していた場所がひばりが丘だったため、店名はひばりの英語名“スカイラーク”とした。当時の外食店は駅前にあるのが普通。国道沿いの郊外にあるのはドライブインぐらいで、洋食のレストランとしては異例だった。当時は「ハンバーグ&エビフライ」、「ハンバーグ&カキフライ」が主力のメニュー。当初の目標は三多摩地区に30店舗だった。

「狙ったのは郊外に住むファミリー層のために、綺麗でサービスも親切、そして安くてとにかく美味しい料理を出すこと。でも寝ないで働いたけれどお客さんはなかなか集まらず、僕はサクラばっかりやっていました(笑)。資金繰りも大変で家も売ってしまった」(横川)

 転機となったのは1973年。

「ある小学生が書いた作文が表彰されたんです。『夏休みにどこにも行けなかったけど最後に両親がスカイラークに連れて行ってくれたら、楽しくて、美味しくて、とても感激した』という内容でした。その影響で家族層のお客さんが集まり始めた。さらにある新聞が、『最近郊外にファミリーで食べに行くレストランが出現した』という記事を書いてね。僕らはそれを読んで『ファミリー』と『レストラン』を併せた言葉はいいんじゃないか。使おうと。店の名前もひらがなに変えて『ファミリーレストランすかいらーく』が生まれたんです」(横川)

 すかいらーくの成功に続けとばかりに、ファミリーレストランは増えていく。1974年にはイトーヨーカ堂が米デニーズと契約を結んで「デニーズ」を横浜にオープン。アメリカからレシピ、調理器具類を日本に持ち込み、本格的なアメリカンメニューも提供できる店をつくり上げた。1978年にはサラダバーの先駆け「ビッグボーイ」が箕面市に、1980年にはカリフォルニアスタイルのレストラン「ココス」が土浦市にと、アメリカで名を成した強豪レストランチェーンが続々と上陸。ココスは茨城を中心に店舗を展開、一時筑波研究学園都市は道を行けども行けども研究施設とココスしかない、という有様だったとか。

 すかいらーくも順調に店舗数を増やしていった。

「でも儲かると人間ってダメになります。1978年に株を上場したら瞬間的に時価総額で世界のソニーを抜いた。世間に注目され、僕ら経営陣は自惚れてしまった。店舗数は増えていくけど、既存店は上場の翌年から客数が減っていた」(横川)

 そこで1980年、横川はすかいらーくを辞して、コーヒー&レストランの「ジョナサン」の社長となる。食材の鮮度、接客サービスの向上、店舗を清潔に保つことを徹底させ、見事に集客に成功した。一方、横川の抜けたすかいらーくも1983年に和食の「藍屋」、1986年には中華の「バーミヤン」と別業態を生み出す。前者は法事でも十分に使える高級会席もあり、後者は手頃な値段で「回らない中華」を楽しめるのがウリ。そしてやみくもに店舗数を増やした。

「新たな仕掛けを考えるのではなく、店舗数と売り上げが至上主義となってしまったんです。それがいまの外食チェーン業界の買収癖につながっているんです」(横川)

 だが行き詰まったすかいらーくグループは奇策を打ち出す。

 1992年に登場した、セルフのドリンクバー、ワイヤレス型呼び出しベルを導入した低価格路線の「ガスト」だ。380円でハンバーグが食べられるなど、当時高校生だった筆者にとっては黒船が来たぐらいの衝撃だった。ガストの前には人だかりができあがり、翌年には720店あったすかいらーくのうち、なんと420店舗が瞬く間にガストに転換されたのだ。

 その後、横川はジョナサンとすかいらーく両方の経営に携わり、紆余曲折を経て、2008年、社長の座から退いた。