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連載世界経済の革命児

大西 康之
2017/09/19

“インターネットの父”ヴィントン・グレイ・サーフが掲げるとてつもなく高い理想

世界経済の革命児

Vinton Gray Cerf(グーグル副社長) ©共同通信社

 TCP/IPをご存知だろうか。パソコンやスマートフォンを使っていれば、あなたも毎日、お世話になっている。TCP/IPとは、インターネットで標準的に使われている通信プロトコル(通信規約)のこと。インターネット上でパソコンやスマホが機種の違いにかかわりなく、有線でも無線でも衛星通信でもデータをやり取りできるのは、すべてがこの「規約」に従っているからだ。

 一九七三年にTCP/IPを設計したのがヴィントン・グレイ・サーフだ。今年七十四歳になったが、今もグーグルの副社長兼チーフ・インターネット・エバンジェリスト(伝道師)として世界を飛び回っている。

 TCP/IPがなければ電子メールは届かないし、検索もできない。それゆえ生みの親であるサーフは「インターネットの父」と呼ばれる。

 現在、世界の三十億人を結びつけているインターネットは、六九年十二月、たった四台のコンピューターを繋ぐところから始まった。(国防総省の)高等研究計画局(DARPA)の支援を受けたプロジェクトで、ARPANET(アーパネット)と呼ばれた。地上の有線、無線、移動体、衛星通信、つまりは陸海空と宇宙を結ぶ通信ネットワークを作ることが目的だった。

 最初に結ばれたのはユタ大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)、カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)、スタンフォード大学の大型コンピューター。サーフはUCLAの大学院生としてシステム設計に加わった。UCLAからスタンフォードに送られた最初のメッセージは「login」だったが、途中でシステムがクラッシュし、届いたのは「lo」の二文字だった。

 TCP/IPが画期的だったのは、A地点からB地点に確実にデータを届ける「ギャランティ型」ではなく「ベストエフォート型」の思想を採用したことだ。TCP/IPはデータが確実に届くことを保証しない。様々な中継点を経て、なるべく早く目的地に届くように設計されているが、失敗した時には別ルートで再送信を試みる。「失敗」を前提にし、それをカバーする仕組みだ。「失敗したらやり直せばいい」という考え方は極めてシリコンバレー的だ。トライ&エラーを繰り返しながら成長するシリコンバレーのベンチャー企業に共通する。

 TCP/IPとシリコンバレーは「オープン」という意味でも共通だ。サーフと共同開発者のロバート・カーンは特許を取らず、TCP/IPの技術仕様を公開してしまった。その理由をサーフはこう説明する。

「ARPANET誕生に関わった人々は研究者なので『知識は共有するもの』という考えに慣れていた」

 東西冷戦真っ只中の七三年に、軍需プロジェクトとして生まれたTCP/IPのソースコード(設計図)を、東側を含む世界に公開できたのは奇跡に等しい。

 初期のインターネットは誰のものでもなく、誰もが開発に参加できた。基準は簡単だ。「みんながいいアイデアだと思えば、それが採用され実装される。いいアイデアでなければ無視される」。肩書きも年齢も国籍も関係ない。サーフはこれを「究極の実力主義」と呼ぶ。そもそもTCP/IPには「国籍」の概念もない。「プロトコルを作ってから、国がなくなってしまったり、新しい国ができたら困るから」(サーフ)。

 九二年には、「インターネットはどこかの国の政府が管理するものではなく、その規約はすべての利用者の合議によって作られるべきだ」という考えを実践するため、カーンとともにインターネット協会(ISOC)を設立、初代会長に就任。二〇〇五年には電撃的にグーグルに入社する。インターネットの大御所が設立八年目のベンチャーに移籍したニュースは世界中のIT関係者を驚かせた。二人の若き創業者のメンター的役割を果たしている。

 サーフに言わせれば、株式時価総額世界一をアップルと争うグーグルの検索サービスもまだ不完全。

「グーグルの検索が見つけてくるのは『入力した言葉を含むページ』だが、利用者が本当に知りたいのは『問いへの答え』なのだ。

 インターネットはまだ完成していない。これからも多くの人の手によって進化し、真の意味で『開かれた世界』の礎にならねばならない」

 伝道師の理想は、とてつもなく高い。