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連載平松洋子の「この味」

平松 洋子
2017/09/21

私にとって最強の相手 ナムルは“鍛えられる料理”――平松洋子の「この味」

 鍛えられる料理というのがある。カタく聞こえるけれど、じっさいあるんですよ、それが。

 どんな料理も、作るたびに進化したり変化したり、これで完成したと思っても、自然や環境によって素材もおのずと変わる。着地点が自在に移動する体操競技のようなもの。何度おなじ料理を作っても、食べても、おいそれと飽きないのはそのためだ。べつの言い方をすれば、料理には無数の着地点があり、飛距離はいくらでも伸ばせるということ。そのあたりを体現する料理にジャストミートすると、これはがぜん鍛えてもらえます。

 私の場合、最強の相手のひとつがナムルだった。

 ナムルは朝鮮半島の食文化にとって重要な役割を担う野菜の和えもので、食卓にのぼらない日はない素朴な料理でもある。野菜、山菜、野草、根……火を通し、醤油やごま油、唐辛子やにんにくで味つけすれば、ナムルにならないものはない。いってみれば、野山や畑でとれる手近な材料をおいしく食べるための知恵の所産、あるいはオリジナルな食風習。

 戦時中の苦しい時代をくぐり抜けてきたお年寄りの昔話を聞くと、「どんなに貧しくても、ナムルと飯があれば一食になった」。このたくましい食感覚は、いまも朝鮮半島の人々の胃袋の中枢を握っているというのが、長年彼の地の食文化に関わりつづけてきた私の実感だ。ご飯の上にナムルを数種類のせれば、たちまちピビムパプ(ピビム=混ぜる パプ=ご飯)。自然を巧みに引きこむ手つきにおいて、ナムルはキムチと対をなすソウルフードである。

 だから怖じ気づいた、というわけではない。そもそも、ナムルという存在の大きさを最初から理解していたわけではなかったから。

 作り方はごくシンプルだというのに、自分でつくってみたナムルの味はしらじらしく、よそよそしかった。小松菜のナムル、大豆もやしのナムル、ぜんまい、にんじん、だいこん、椎茸、ズッキーニ……オモニたちがつくる味とは、決定的にナニカが違った。出来たナムルが「これじゃない」「こんなもんじゃないんだ」。くやしかったが、その理由を知りたくて、じゃあ鍛えてくださいとナムルに頼むしかなかった。

 千本ノックを繰り返すうち、だんだんわかってきた。

 ナムルは、相手の出方しだいだ。醤油、にんにく、唐辛子、ごま油、すりごま、相手に寄り添って差配する。青菜にはおろしにんにくをわずかしか入れないのに、ぜんまいにすりごまを多めに入れるのは、にんにくや唐辛子、調味料を含ませてまとわりつかせたいから。言葉にすればまどろっこしいが、ナムルひとつずつに無言の法則が存在している。

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 球種を見分けられるようになったきっかけは、春菊のナムルだった。さっとゆでて搾った春菊を切り、ほぐし、塩、おろしにんにく、すりごまを順番に入れながら、指でさっくり和える。ごま油を最後に入れるのは、早い段階で加えると、繊維が油分でコーティングされて味が染みこまないから。わかってしまえば単純なことだけれど、細部を理解していなければ、ナニカが決定的に違ってしまう。でも、オモニたちは言葉で語ったり手取り足取り解説したりしないから、何度も見て、食べて、失敗して気づくしかない。

 ナムルは、手の動きの意味をいちいち要求してきた。考えてみれば、それが料理というものだった。