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神田 憲行
2017/09/22

秋葉原、420万人の外国人観光客を惹き付ける「三層構造」の街づくりの秘密

家電、外国人、アイドル……すべてを受け入れる街#2――50年後の「ずばり東京」

高度成長期から現代まで、秋葉原はどのように発展してきたのか? #1で話を聞いた家電量販店の老舗「オノデン」現社長・小野一志さんは、この街の変化の特徴を、全てが入れ替わるのではなく「地層のように重なり合って」変容していくと表現したが、その“地層”こそが秋葉原の活性化の原動力になっている。
出典:「文藝春秋」2017年9月号・全3回

アキバの3つのゾーン

 その地層を「通りごとの三層構造」と説明するのが、一般社団法人日本コンピュータシステム販売店協会専務理事の松波道廣さんだ。

 

 まずUDXなどオフィスビルが並ぶ「再開発エリア・オフィスゾーン」。

 秋葉原を南北に走るメインの中央通りの「専門店ゾーン」。

 そして中央通りと西側の昌平橋通りに挟まれた、細い通りが何本か走る「超専門店・新文化創造ゾーン」だ。

 これらのゾーンではお店の種類も違うし、どことなく歩いている人の顔まで違うようにみえる。

「再開発エリア・オフィスゾーン」ではレストランもグルメ志向のお店が多い。ベルギービールの店で飲んでいると、外のテラス席でサングラスを頭に掛けた洒落たカップルが微笑み合ったりしていて、恵比寿のようだ。

 中央通りの「専門店ゾーン」は、今の秋葉原のメイン文化であるアイドルとアニメをテーマにしたお店が並ぶ。「AKB48劇場」、アニメ・漫画などの専門店で有名な「とらのあな」。客の年齢層も他のゾーンに比べて若く、男性だけでなく女性も多い。外国人観光客が目立つエリアでもある。ちなみにNPO法人秋葉原観光推進協会による日本政府観光局の発表した数字にもとづく計算によると、2015年に秋葉原を訪れた外国人観光客は約420万人という。

「超専門店・新文化創造ゾーン」はパソコンのパーツなど、1990年代の秋葉原の名残を強く残すお店が集まっている。またウエイトレスがメイド風の衣装で接客するメイドカフェも多く、新しい流行の発信基地のようなエリアだ。

 私は日曜日にこの裏通り一帯を歩くのが好きだ。

 廃墟になったビルの1階をぶち抜いて、カタコトの日本語を話す中年女性が壊れたコンパクトデジタルカメラを500円くらいで売っている。壊れたデジカメなんて買ってどうするのかと思われそうだが、実はカメラ店で新しいカメラを買うとき、中古カメラの下取りサービスをやっていることがあり、壊れたカメラでも持っていくと1000円ぐらい値引きしてくれる。つまりここで買った500円の壊れたカメラが新しいカメラを買うときに1000円の「金券」に化ける、というわけである。

 松波さんは、このゾーンには「起業家が集まりやすい」という。

「ここのお店が成功すると、中央通りに出てきて大きく店を構える。その構造が秋葉原の特徴で、面白いところですね。私は三層構造が秋葉原を活性化させていると考えています」

 他の街なら、再開発の際にこういう小さな裏通りは最初に潰されて真っ平らになってしまう。それが秋葉原では残った。

「秋葉原では駅前の一等地がすぽっと空いていたから、裏通りが手つかずに残されたんですよ」(松波さん)

 駅前の一等地とは、今のUDXなどがあるゾーンである。ここには1989年まで、青果市場、いわゆる「やっちゃ場」があった。それが1990年に大田区に移転し、そのままぽっかりと空いているところに、ビルが建てられたのである。

 それぞれの「地層」の年代は、松波さんの分類を参考にすると大まかに次のように分けられる。

(1)ラジオの時代(1950年代)
(2)無線・家電の時代(1960年代)
(3)オーディオの時代(1970年~80年代)
(4)パソコン・ゲーム機の時代(1990年代)
(5)ポップカルチャーの時代(2000年代)
(6)海外向け免税店の時代(2010年代)

 私はいま53歳だが東京に来るのが遅かったので、親しんだ秋葉原は1990年代のパソコンの時代からだ。

「ラジオの時代」の名残は、JR秋葉原駅横のラジオセンターで見ることができる。GHQから追い出された露天商たちのいわば「末裔」で、畳一畳ぶんほどのスペースでトランジスタ素子などの電子部品や、特殊な工具などを扱っている。狭い路地裏のハイテク商品というリドリー・スコットの映画のような雰囲気で、外国人観光客にも人気がある。

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