昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

池田 嘉郎
2017/09/26

ロシア革命100年後の教訓――学校では学べない世界近現代史入門

 アメリカ独立革命、フランス革命との決定的な違いはどこにあったのか?

◆◆◆

 1917年のロシア革命から100年が過ぎた。もしまだソ連が残っていたならば、革命100周年はさぞや盛大に祝われたに違いない。共産党書記長はレーニン廟(びょう)の壇上から人類史の偉大な1歩について長い演説をぶち、ビルほどもあるレーニンの肖像画が赤の広場にひるがえったであろう。実際にはソ連は革命から74年で崩壊してしまった。プーチンもアニバーサリー・イヤーをどこかもてあまし気味である。

 ロシア革命をとりまく寂しさは、西洋史のほかの革命とくらべるといっそう際立つ。イギリスでは1688年の名誉革命で、議会が国王の上に立つという原則が確立し、300年以上引き継がれている。1775年から1783年の独立革命で生まれたアメリカ合衆国も、毎年独立宣言の記念日を祝っている。フランスも1789年に始まる大革命で、今日につながる国民主権を掲げた。その後いくども体制は変わったが、今日の第五共和政はフランス革命の後継者であることを誇りにしている。

 イギリス・アメリカ・フランスの革命と、ロシア革命の命運は、はっきりと分かれた。

「反近代」を目指す革命

 では前3者と後者のあいだには、どのような違いがあったのだろうか。この問いを考えることは、ここ2・3世紀ほどの世界史の動きを見るうえでも、有意義であるように思われる。もとより個々の革命の経緯は、指導者の個性、国際環境、政治文化の伝統、種々の偶然など、多様な要因に左右される。それでもあえて共通点をいうならば、イギリス・アメリカ・フランスの革命は次のような発想にたっていた。

 国の主権は、神に選ばれたなどというフィクションによって立つ君主にではなく、住民の側になければならない。このとき住民とは、それぞれが等しい権利と義務をもつ、対等で自立した「市民」のことである。政府に対しても、互いのあいだでも、市民は自由でなければならない。そして、市民の自由と自立を支えるものは、各人の所有であるのだから、私的所有権が擁護されねばならない。

 こうした発想によって成り立つ秩序を、便宜的に「近代」と呼んでも差し支えないであろう。イギリス・アメリカ・フランスの革命は、「近代」の発想に支えられ、かつそうした秩序を実体化していくものであった。

 革命の当初は「市民」の範囲は狭く、それは資産をもった、白人の、男性のみに限られていた。だが、19世紀以降、その枠は次第に広がっていく。革命を経なかったヨーロッパの国々も徐々にこの秩序を受け入れ、さらには極東の日本も明治維新によって「近代」への参入を図った。

 では、果たして1917年のロシア革命は、こうした「近代」を目指していたのであろうか。初期の指導者のなかには、そういう人たちもいた。自由主義者と呼ばれる、主に立憲民主党に集った人たちである。だが、彼らは1917年の荒波のなかで、主導権を握り続けることができなかった。

 むしろ、革命の過程で前面に出てくる勢力は、「近代」とは異なる秩序、あるいは「反近代」を目指していたのである。以下では少し細かく、1917年の革命について見てみよう。

はてなブックマークに追加