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連載平松洋子の「この味」

平松 洋子
2017/09/28

じんじんじりじりが止まらない、鯨の味わい――平松洋子の「この味」

 たまらなく鯨が食べたくなることがある。歯茎が痺れるような、あのぶっちぎりの味。うまい、というより、痺れる、疼く。歯茎の奥のほうまでじんじんじりじりする。

 小泉武夫さんと話したとき、「わたしは鯨少年。鯨の肉を食べないと手が震えてきちゃう」と笑っていたけれど、あれは冗談なんかじゃなかった。鯨の味を覚えたのは少年時代で、仙台味噌に漬けこんだ鯨の赤身を炭火で焼いたのを一枚、ご飯のうえに「ピタッと」乗せた弁当を毎日食べて鯨に夢中になったという。高校時代までずーっと鯨弁当。かくして小泉武夫そのひとの大脳の味覚野に、鯨のじんじんじりじりが刻みこまれていった。小泉さんは、「うちの巨大な冷凍庫の半分は鯨で、あれがあるからほっとしていられるんですよ」と、にんまり。

 わたしの場合は、弁当ではなく、給食で鯨の味を知った。キャベツのせん切りといっしょにコッペパンにはさんでかぶりつく鯨の竜田揚げ。噛むと、それこそピュルピュルじゅわじゅわ~と「うま汁」(©小泉武夫)が口のなかに飛び散る。あのとき鯨肉にたいする過剰反応を覚えたので、苦手な献立はいろいろあった(フルーツサラダと牛乳だけ、はすぐ空腹になった)が、鯨という恩恵に出会わせてくれた給食には感謝している。

 鯨の刺身をひさしぶりに食べたのは去年の夏、房州・和田浦で買ったツチクジラの赤身だ。ツチクジラは国際捕鯨取締条約の管轄外の鯨種で、和田浦では年間二十六頭の枠が定められており、房州捕鯨の伝統を受け継ぐ沿岸捕鯨地のひとつである。内房に足を運んだ帰り、ひょっとして……と期待して鯨肉店に寄ると、はたして! 冷蔵ショーケースに、しっとりと新鮮な赤身肉が並んでいた。訊くと、数日前に和田浦に上がったツチクジラだ。

 千載一遇のチャンス。捕ったばかりの鯨の生肉なんて、めったに出会えるものではない。残り少ないうちから一・二キロのかたまりを買い、発泡スチロールの箱に氷詰めにしてもらって、大急ぎで東京に戻った。

 どっかんと鎮座する鯨の赤身のかたまり。包丁を当てて引くと、さくっと切れるのに、肉の繊維の感触も伝わってきた。むわっと立つ鯨の香り。かんがえてみたら、鯨の生肉を自分で切るのは十年、いや二十年ぶり。食べる前から体温が上がった。

 生姜醤油をちょんとつけて箸ではさむと、ルビー色の赤がつやつや光る。もういっちょ、せっかくだからステーキを焼いて頬張ると、じんじんじりじりがどうにも止まらない。

※写真はイメージ ©iStock.com

 ――あの興奮を思い出したのは、九月九日の公開初日、ドキュメンタリー映画「おクジラさま ふたつの正義の物語」を観たからだ。

 舞台は、日本の古式捕鯨発祥の地として知られる和歌山県太地(たいじ)町。人口約三千の小さな町で、さまざまな価値観が衝突するありさまを描きだして出色の出来映えだ。捕鯨問題は、とかく二項対立で語られがち。〈正しい/正しくない〉〈賛成/反対〉〈食べる/食べない〉〈存続/廃止〉……あげく、すれ違いのままいがみ合う。しかし本作は、太地町町長、役場、漁師、シー・シェパードの活動家、町立博物館長、保護活動家、ジャーナリストら、それぞれの声や感情を現場で掬い上げ、捕鯨によって生きながらえてきた小さな町そのものが、観る者に問いを投げかけてくる。

 食べ物は「正義」だけでは語れない。鯨とは、なんと大きな存在なのだろう。