昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

勉強にはやっぱり「哲学」が必要だ――山極壽一×千葉雅也 #2

ゴリラ研究の第一人者と気鋭の哲学者が語り合う

※〈勉強にはやっぱり「哲学」が必要だ――山極壽一×千葉雅也 #1〉より続く

千葉 先生は人間がサル化している、何でもかんでもルール中心主義になっていると指摘されています。これは倫理的な問題でも同様だと思います。「ヘイトスピーチはダメ」「優先席ではお年寄りや妊婦に席を譲れ」といった“当たり前”のことを、わざわざルールにしないといけない社会になってしまいました。

山極 これは大学生に限りませんが、周囲の環境から身体で学ぶという経験が圧倒的に不足しています。僕は、その意味でも読書が大事だと思っています。先ほどもお話した「本に浸り、のめり込む」という行為は、書かれたのが何百年前、何千年前だろうが、その時代や社会に触れて、本の世界観に没入することです。例えば、大昔に生きた主人公の立場に身を置き換え、興奮したり、涙を流すことができる。私たちになぜそれが可能なのかといえば、人間の身体性が変わっていないからです。社会状況や表現の仕方は変わっても、身体性はギリシャ叙事詩や『源氏物語』の時代とほとんど変わっていません。

千葉 先生のおっしゃる読書体験とは、大昔から変わらない人間の情動や他者との関係性が、違った文脈の中で反復され、変奏されるということですね。

身体性が復讐する

山極 ただし、今やその身体性が変わるかもしれない「歴史の転換期」を迎えています。例えば、映像技術が飛躍的に進歩したため、CGで死んだ人を復活させるといった、実際に起こり得ないことを視覚的に再現することも可能です。でも、そういった映像に脳はついていけても、身体は追いついていけない。

千葉 身体が脳に置き去りにされてしまう。

山極壽一氏(京都大学総長) ©文藝春秋

山極 はい。人間の五感の中でも触覚、味覚、嗅覚は身体に密着しているからなかなか身体性を裏切らないのですが、視覚と聴覚は外部からの刺激に騙されやすい。さらにゲノム編集などの生命科学によって人間の身体が内側からも作り変えられつつあります。すでに植物や動物は遺伝子組み換え技術が応用されていますし、脳と脳を直接つないだり、脳の中身を外部化するようなAI(人工知能)も出現している。そうすると人間の身体性がどんどん忘れられ、生物としての人間の定義が揺らいできます。

千葉 遺伝子をどう改変するかという方法は、脳で考えているわけです。だからそうした身体改造は、身体の「脳化」だとも言えるわけでしょう。ただし、身体は突然変異を起こしたり、病気になったりと、脳の思い通りにはならない。その意味では、最終的に身体性が、脳偏重になった人間に復讐する時代がくるんじゃないかと思います。

山極 私が危険だなと思っているのは、「考える」「覚える」といった脳の機能を身体の外部に出し始めていることです。

千葉 ディープラーニングで自律的に学習し始めたAIの例ですね。

山極 この状況が進むと、人間が思考する必要がなくなり、選ぶだけになりかねません。すでにアマゾンで本を注文すると、「あなたの次に買いたい本はこれですか?」とメニューを並べてくるでしょう。

千葉 レストランや旅の目的地でも自動的に選択肢が提示されます。SNS上ではすでに「友達」さえアルゴリズムが選んでくれる。その選択には時間の経過が育む“厚み”というものがまったくありません。

 また、外部化された選択は、簡単に操作されてしまいます。すでに特定のイデオロギーに情報をコントロールされているかもしれませんし、フェイクニュースによる印象操作はアメリカで現実のものとなりました。ひたすら選択をさせられ、人間の無思考化が進んでいく……。これは現在進行形のリアルな問題です。

 その流れに抗い、勉強によって思考を深めていくためには、やはり身体という有限性が必要なのではないでしょうか。身体という有限の檻があり、その有限性ゆえに知識に基づいた思考が生まれるという意味で。

山極 有限性という概念は非常に重要で、歴史的に考えると、無限の成長を信じてきた人類が転換期を迎えたのが環境汚染や地球温暖化が注目された1970年代です。72年に人間環境宣言が出されて無秩序な開発に歯止めがかかり、80年代、90年代に地球は有限だということが常識になった。ただ、これ自体はプラスの変化ですが、同時に人間社会に閉塞感が生まれた。

千葉 自分たちが有限の資源を食いつぶすことで地球は劣化し、我々の未来はみじめに縮小するという幻想が生まれたんですね。

山極 現在は、有限性の中でいかに自由に発想を展開できるかが問われています。ゲノム編集も人間の身体を有限性から解き放とうとする試みと捉えられるし、ICT(情報通信技術)で時間と空間を超えて情報をやりとりできるようにするのも有限性を突破する技術です。

 ただ、目に見えず、数値化もできない信頼や安心といったものを担保する人間関係や、千葉先生がおっしゃった「身体という有限性」にこそ、人間の幸福につながる感性が潜んでいると思います。