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安室奈美恵、小松政夫、田代まさし 3人の「オヤジ」

「週刊文春」10月5日号 最新レビュー

2017/09/30
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 今でも小松政夫は植木等を「親父さん」と呼ぶ。「親父さん―――植木等のことが、好きで好きでたまらなかった」と題する、小松のインタビューが文春最新号に掲載されている。

 植木の付き人兼運転手だった下積み時代、週に10時間くらいしか寝られない日々を過ごした。それでも幸せだったと小松は言う。時が経って、植木はそんな小松に事務所を紹介し、「俳優としてひとりだちのお膳立てまでしてくれた」。身を立てられるように、取り持ってくれたのだ。

小松政夫 ©平松市聖/文藝春秋

安室奈美恵の「オヤジ」

 同じように身を立てられるようにしてくれた者を「オヤジ」と呼んだ歌姫がいた。それほどの関係であったのが、いつしか嫌で嫌でたまらなくなり、骨肉の争いを繰り広げるまでになる。

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 今週の左トップ記事「安室奈美恵電撃引退 本誌だけが書ける全真相」は、そんな裏事情などを明かす。

 安室奈美恵の引退声明が発表されたのは、デビュー25周年ライブを終えてすぐの9月20日のこと。その日、40歳になった安室は、公式HPに「わたくし安室奈美恵は、/ 2018年9月16日をもって引退することを決意致しました」と綴った。

「安室奈美恵ってトップスターなのにいつも転校生みたいな暗さがあったなって思う」。作家・岡映里は引退騒ぎのなか、そうツイートしている(注)。沖縄アクターズスクールの校長・マキノ正幸は、10歳の安室にそれを見ていた。

2015年台湾公演での安室奈美恵 ©getty

二人三脚、トップスターへの物語

 マキノは安室が小学5年生のときに出会い、歌とダンスの稽古をつける。「その時から陰があった。明るい子じゃない。でも、あの陰が売り物なんだ」。10歳にして陰があり、それを魅力として見せた安室、そこを見抜いたマキノ、天才と名伯楽の邂逅である。

 そんな沖縄の少女を東京に呼び、デビューさせるのがライジングプロの平哲夫である。彼こそ、安室が「東京の父」とも「オヤジ」とも呼んだ人物だ。「奈美恵は平さんのことを、『オヤジ』と呼んでいた。奈美恵がここまで来られたのは平さんのおかげでもある」(義父・談) 

 若い女の子が“オヤジ”と呼ぶのは、嫌ってんじゃね? と思いもするが、ともあれ、安室は平と二人三脚で芸能界を歩み、トップスターへとのし上がっていく。