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小野塚 知二
2017/10/30

イギリス料理が「まずい」原因は、産業革命だった!?

学校では学べない世界近現代史入門

何が食文化の衰退を招いたのか?
その背景には社会と経済の変化があった

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 イギリスの料理はまずいとしばしば言われる。まずい理由として、美食を欲しない国民性である、ピューリタンの影響で食の楽しみが罪悪視された、あるいは、気候が冷涼で食が単調になるなどの俗説はあるが、いずれも、学問的には支持しがたい怪しげな説である。

19世紀から「まずく」なる

 うまい/まずいは直接的には個人の好みであって、食の属性ではない。うまい/まずいといった主観的な印象評価を離れて、食を客観的に分析するために、筆者は、食材の多様性、食材の在地性・季節性、調理方法の多様性という3つの指標を設定した(小野塚[2004]、[2010])。この3つの指標だけで食を論じ尽くせるわけではない。食文化史の本来的関心からは、実際に食べられた料理や食べる場・状況が重要なのだが、料理や宴席は史料として残りにくいため考察の対象とするのが難しい。それに比べると食材や調理方法は、残されたレシピを用いてかなり正確に再現できるので、客観的な検証にたえる。

 中世末から現代(ほぼ20世紀)までのイギリス料理にいかなる食材が用いられてきたか調べてみよう。中世末から近代までの間にもイギリスの食のあり方は変化しているが、食材という点では、近世(ほぼ16~18世紀)に急増する熱帯産香辛料とジャガイモを除けば、19世紀初頭までその種類は安定している。表1と表2はそうした食材を示す。

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 このうち表1は19世紀中葉には用いられなくなった食材を、表2はこの時期から現代まで用いられ続けた食材を表す。19世紀中葉以降は表3の食材が新たに登場する。ここから明らかなように、19世紀前半の数十年間に食材多様性が著しく低下し、在地食材が(それゆえ食材の季節性も)ほぼ消滅した。19世紀中葉以降のイギリスの食は大量生産可能な農業牧畜産品、トロール漁業産品と、工業製品で占められるようになる。食糧輸入は増加した時期だが、香辛料の役割はむしろ決定的に低下した。こうして、香りと味の華やかさを欠いた、近現代のイギリスの食が登場することになる。

 ただし、トロール漁業で水揚げされたタラ・オヒョウと大量生産されたジャガイモで作られたフィッシュ・アンド・チップスや、同様に大量生産食材を用いたベーコン・アンド・エッグズは、19世紀後半以降の下層階級の栄養状態を改善するのに貢献した。産業化したイギリスは熱量の点では豊かさをもたらしたのだ。

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