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梶原 紀章
2017/10/04

【ロッテ】プロ野球通算10万号の陰でプロ初ヒットを放った大木貴将

文春野球コラム ペナントレース2017

 プロ野球通算10万号本塁打が飛び出した9月29日のバファローズ戦(ZOZOマリンスタジアム)。テレビ、新聞ともに話題を独占したのはメモリアルアーチを左翼に放ったバファローズのクリス・マレーロ外野手(別名は6月9日に来日初出場した試合で1号本塁打を放つもホームベースを踏み忘れて通過していたため無効になった事から、『ホーム踏み忘れ男』)。そんなゲームでプロ入り初ヒット、初盗塁を決めたマリーンズの選手がいた。大木貴将内野手。2015年10月に育成ドラフト1位でマリーンズに入団。翌16年に支配下登録され、ついにこの日、プロ入り初スタメンでメモリアルな一歩を踏み出した。

「長かったですね。ようやくです。ここまでの日々は長く感じます」

 試合後、戻ってきた初ヒットのボールをロッカーで見つめながら、大木はしみじみと口にした。確かに長かっただろうなあ。感慨深い思いで、私は本人と話をしている中で忘れていた、ある出来事を思い出した。当人にしてみれば忘れられない出来事だった。

9月29日にプロ初ヒットを放った大木貴将 千葉ロッテマリーンズ提供

一年前、スルリと消えたチャンス

 昨年の夏場。大木は一度だけ一軍に合流をしている。主力の内野手が背中に違和感を訴え、バックアップ要員として急きょ、招集をされた。一軍のナイター終了後。大木はデーゲームで行われる翌日の二軍の試合に備え、眠りに就こうかと思っているタイミングで携帯電話が鳴った。そして二軍マネージャーから一軍合流を指示された。7月29日に育成選手から支配下選手に登録をされ一カ月ほど。目標にしていた舞台への呼び出しに胸が高鳴った。その日は緊張のあまり、ほとんど眠ることが出来なかった。極度の緊張の中、右も左も分からず一軍練習に合流をした。必死にアピールをしようと体を動かした。

 ただ、残念ながら一軍昇格はならなかった。背中に違和感を訴えていた選手の状態が回復し、大木の登録が必要なくなっていたのだ。練習を終えると「帰っていいよ。お疲れ様」と言われた。食堂で簡単に食事を済ませると静かに球場を後にした。帰り路、なにを考えていたのかは覚えていない。自分の力不足を嘆き、パワーアップして実力で今度こそ一軍に呼んでもらおうと心に誓った。ただ、そこからは長かった。再度、一軍に呼ばれたのは翌年の9月21日。一年前にスルリと消えていったチャンスの場にようやく再び、今度はちゃんとたどり着き、一軍に登録をされた。

「二軍ではずっと確実性を上げる練習を続けていました。それは打撃も守備も走塁も。一つ一つの練習を積み重ねてこの日が来るのを待っていました。でも、やっぱりこの一年は長く感じました」