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【中日】大事なことはすべて星野仙一様に教わった~社会人編

文春野球コラム ペナントレース2017

※文春野球コラムは“代打制度”を導入しました。今回、中日ドラゴンズの筆者は竹内茂喜に替わりまして代打・式守’サチモス’龍之介です。

【竹内茂喜からの推薦文】
 気づけば早10月。文春野球もペナントレース同様佳境を迎え、セントラルリーグは熾烈なる5、6位争いを繰り広げています。怒涛の連投によりこの勝負にケリをつけます! 今回はファームから初々しいピチピチ……とは言い難い44歳のオールドルーキー、文春フレッシュオールスターでドラゴンズ勢ここにありっ! ってな活躍を見せてくれた式守‘サチモス’龍之介を公式戦初登板初先発させます。たわけェェェェ〜! 内角をグイグイ攻めるんだっ!

【プロフィール】
式守’サチモス’龍之介
 岐阜県在住、44歳。説明する事が難しい職種のサラリーマン。文春野球フレッシュオールスター選手に選んで頂いた後、執拗なロビー活動により? 再登板実現! 初めて買ったレコードは田尾安志の「主人公」。
【中日】大事なことはすべて星野仙一様に教わった(前編)

◆ ◆ ◆

「星野阪神誕生」にざわめいた日

 大学卒業後、僕はいろいろあって家族経営の飲食店で働いていた。一方、仙一様はナゴヤドームの幕開けに合わせるように、第二次政権の指揮を執っていたのだが、2001年成績不振を理由に監督を辞任。後任にはピッチングコーチとして仙一様を支えていた山田久志氏が就任したのだが、心の何処かに「もう一度仙一様が采配を振るう日が来るのだろう」という根拠のない確信があった。

 しかし事態は一変する。なんと仙一様が阪神の監督に就任する! という報道が出たのだ。最初はゴシップに違いない、仙一様が「そんなことあるわけないだろ!」と一蹴してくれる、と軽く思っていたのだが、日に日に報道は真実味を増し、中日スポーツ以外は「星野阪神誕生」を囃し立てた。そんなわけない、そんなわけない、仙一様が縦縞に袖を通すなんて、そんなわけない……。

 そんな心が落ち着かない最中、幼馴染のお父さんから、毎年オフに行なわれるチャリティーゴルフイベント「星野仙一とゆかいな仲間たち」のギャラリーパスポートを譲ってくれるという連絡があった。

「今年は元々テラりん(小さい頃からのあだ名)にあげようと思ってたんだけど、まさかこんなことになるとはな~」と、おじさんも困惑気味ではあったが、この目で、この耳で阪神にはいかない事を確認したい思いがフツフツと沸いてきて、有り難く頂戴する事にした。

「阪神にはいかないですよね?」

 ゴルフ当日。

 会場の南山カントリークラブに到着するなり、隣の車から山本昌が出てきてあまりのデカさに思わず怯むシーンもあったが「仙一様に阪神監督就任はデマであることを直接聞き出す」という強い気持ちを持ってクラブハウスに入っていった。

 入り口でタイムスケジュールと誰が何組か、が書かれた大会プログラムを配布され、確認してみると、仙一様は田淵幸一・原辰徳・板東英二という超豪華な組! しかし、あまりの参加者とギャラリーの多さで、仙一様を発見出来ず、焦っていると、

「いや~キャディさん、今日はホンマに忙しくなりそうやで~」と、TVで聞き覚えのある大きな声が……後ろを振り返ると、なんとそこには板東英二! その後にはグータッチ、田淵さん、そして甲子園で怒られた時よりさらにオーラを増し、恐怖すら覚える仙一様の姿が!

 直ぐにでも本日の目的を達成したかったのだが、大学時代に仙一様から「常識をわきまえろ」と言われていたので、スタート前は一旦自重し、ギャラリーとして回りながら、時が来るのを待つ事にした。

 ゴルフ場にはプロ野球選手だけでなく、各界の著名人の姿が多く見られ、改めて仙一様の人脈に驚いたのだが、特に萬田久子さんの臓器は全て入っているのか疑いたくなるようなウエストの細さには驚愕してしまった。

 あっという間に最終ホールが終わり、仙一様の組がクラブハウスへ戻ってきた。僕は仙一様に声をかけるチャンスを伺っていたが、うるさかった板東英二がトイレに行ったのを見計らい、大きく深呼吸した後、怒られるのを覚悟で、

「星野さん、阪神にはいかないですよね? またいつか中日の監督やってくれますよね!」

 と声をかけた。声をかけた、というレベルではなく、自分でも驚くような大声で叫んでいた。