昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。


2016/05/07

大河「真田丸」を10倍楽しむ“六文銭”【全文公開】

source : 週刊文春 2016年2月11日号

genre : エンタメ, テレビ・ラジオ, 芸能

▼リアル幸村は身長150センチ 末裔は「堺雅人さんに似ている」
▼子供13人“戦国のビッグダディ”長澤まさみ 黒木華も出産?
▼幸村兄の正室吉田羊は信長吉田鋼太郎に口説かれた過去
▼『真田三代』『真田太平記』…おすすめ関連書籍リストほか

 真田家の家紋「六文銭」。三途の川の“渡し賃”とされ、武士らしく常に死を覚悟して行動することを示すものだという。3年ぶりに視聴率20%超えを果たした大河「真田丸」をより楽しむため、史実や撮影現場の様子などを、家紋にちなんで6つの切り口で紹介する。

    ◇    ◇

 今年のNHK大河ドラマ「真田丸」。初回から第4回までの平均視聴率は19%を超え、世間の注目度は高い。

 赤備えの甲冑、十文字槍などで有名な真田幸村。戦国時代でも圧倒的な人気を誇る武将を、「六文銭」の軍旗にちなんで6つの角度から分析する。

 

1、幸村の人物像

幸村の肖像画(真田徹氏所蔵)

 真田幸村の二男・大八の末裔で、仙台真田家13代当主・真田徹氏が言う。

「幸村は多くの人が想像するような屈強な武将ではありません。小柄な知恵者だったと言い伝えられています。父親の昌幸は、政治面でも軍事面でも秀でた才能を持っていた。大泉洋さん(42)が演じる兄の信幸(後に信之と改名)は政治的な才能を受け継ぎ、弟の幸村(信繁)は軍事的な才能を受け継いだ。晩年の冬と夏の大坂の陣などでその才能を発揮します。

 ドラマでは堺雅人さん(42)がまだ若い幸村を演じていますが、父や兄に従って、ひ弱なイメージを出しています。実際、まさにあのような感じだったはずで、似ていると思いますね」

 真田幸村は、信濃国(現在の長野県)で父・昌幸と母の山手殿との間に生まれた。生年は定かではなく、永禄10年(1567)に生まれたとされる。通称は源次郎。元服して信繁と名乗っている。

 現在「真田丸」で堺が演じる幸村は、まだ10代半ばの少年という設定だ。

 戦国史研究家の渡邊大門氏は幸村の人物像についてこう語る。

「幸村の幼少期や外見的な特徴は史料が乏しくあまり伝わっていませんが、身長は約150センチと小柄で、『長澤聞書』という文書によると、額には2~3寸(約6~9センチ)の傷があったと記されています。人と話すとすぐに打ち解ける気さくな性格だったと言い伝えられています」

本人の書状に「幸村」の名前はなし

 幸村は天正13年(1585)、19歳のときに徳川家康と対立した父・昌幸が上杉景勝に保護を求めるため、人質として差し出される。ところが、その翌年には呼び戻され、豊臣秀吉のもとへ人質として送られた。

 その後、関ヶ原の合戦で、父の昌幸とともに西軍へ参加。上田城にて、東軍の徳川秀忠の軍勢を打ち破って武功を立てたものの、西軍は敗れた。昌幸と幸村は和歌山県・高野山麓の九度山での蟄居生活を命じられた。16名の家臣と幸村の正室・竹林院(演者未発表)や側室たちも一緒だったという。

「慶長5年(1600)に九度山へ向かった昌幸・幸村親子でしたが、経済的状況は苦しく、兄の信之や紀州藩の浅野氏から資金援助を受けていたのです」(前出・渡邊氏)

 苦しい生活だったはずだが、幸村には四男・九女の合計13人の子供がいたと言われている。まさに戦国のビッグダディだ。子女の多くは正室の竹林院との間に授かった子だという。

 劇中では、初恋の相手・黒木華(25)を側室として迎え、子を授かるという。また、後に側室となるきり役の長澤まさみ(28)も出産するのか見どころだ。

 

2、幸村と信繁。正しい呼び名は?

幸村役の堺
Photo:Jiji

「真田丸」では、堺雅人が演じる役名は真田信繁だ。一般的には真田幸村と呼ばれているが、どちらが正しいのか。

「本人が書いた書状がいくつか残されていますが、どこにも幸村の名前は載っていません」(前出・渡邊氏)

 たしかに幸村が義兄の小山田茂誠らへ残した最後の手紙の署名にも「信繁」と書かれている。

「幸村」という名前は、寛文12年(1672)成立の『難波戦記』という軍記物語が初出とされる。これはいわゆる小説で、当時大人気となった。以後、他の軍記物語や講談でも、幸村という名が普及して後世に至ったと言われる。

【次ページ】数百の兵で1万5000の徳川軍を…