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カズオ・イシグロが語った“僕のセールスプロモーション”

阿川佐和子がカズオ・イシグロに聞いた芸術論、オバQのこと

source : 週刊文春 2001年11月8日号

genre : エンタメ, 読書, 映画

note

『日の名残り』で英国最高の文学賞・ブッカー賞を受賞したのが12年前。作家として初来日したイシグロさん。日本語は5歳レベルで止まっているが、「内なる日本」は成長しつづけた。彼の中に日本はどのように影を落とし、どのようにして世界的なベストセラー作家になったのか。
出典:週刊文春2001年11月8日号「阿川佐和子のこの人に会いたい」

#1〈カズオ・イシグロに阿川佐和子が聞いた 「初恋」と「私の中の日本人」〉より続く)

◆ ◆ ◆

ボブ・ディランが好きで、100曲ぐらい曲もつくった

阿川 イシグロさんはピアノもギターもお上手で、最初は音楽の道に進みたいと思っていらしたんでしょう?

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イシグロ ティーンエイジャーだった70年代は、シンガー・ソング・ライターになりたかったんです。あの頃は、ニール・ヤングとかレナード・コーエンとか、ジョニ・ミッチェル、ジェームズ・テイラーと、シンガー・ソング・ライターの時代でしたからね。

阿川 誰がお好きでしたか。

イシグロ ボブ・ディラン。自分でも100曲ぐらい曲をつくりましたよ。

阿川 すご~い!

イシグロ 70年代は私の人生の中で最も日本の影響を受けなかった時代で、アメリカのほうを向いてましたね。お金を貯めて、17歳ぐらいからリュックサックを背負って、あちこち放浪の旅をして。3カ月ぐらい全米をヒッチハイクして回ったり、ヨーロッパに行ったり。ヒッピーみたいに、髪は肩まで伸ばして。

阿川 エーッ。あの頃は、日本の若者もアメリカのほうを向いてましたよ。

イシグロ 私も自分の中にある日本という背景に興味がなかったんです。それが、突然、21、2歳のときに日本にすごく興味を持ち出して。日本の文学を英語版でですけど読み始めたり、ロンドンで日本の映画が上映されたら、即、観に行ったりするようになったんです。

阿川 どんな映画を?

カズオ・イシグロ ©文藝春秋

イシグロ オズ(安二郎)、ミゾグチ(健二)、ナルセ(巳喜男)、ゴショ(平之助)。当時の女優さんもよかったですね。ヒデコ・タカミネ、セツコ・ハラ、マチコ・キョー、キヌヨ・タナカ。

阿川 まあ、私より詳しい。日本というか、ご自分の背景に興味を思ったのには何かきっかけがあったんですか。

イシグロ 当時は分からなかったんですけど、今考えると、さっき言ったように、私はいずれ日本に戻るんだと思って幼少期を過ごしていましたから、小説家になるずっと以前から、自分で非常に複雑な日本という世界を想像して、とてもプライベートな“特別な日本”を創り上げていたんですよ。

『オバQ』が大好き

阿川 どんな“特別な日本”を?

イシグロ 私はイギリスに来てからも、ずいぶん長い間、毎月、『小学一年生』みたいな雑誌とか漫画を日本から送ってもらっていたんですね。私は海の向こうにいながら、ちゃんと日本の子ども文化に参加してたんです。イギリスで『オバQ』に出会って大好きだった。

阿川 ♪「オ・バ・ケーのQ太郎ッ」を(笑)。

イシグロ 算数なんか子ども向け雑誌の付録で勉強してずいぶん助かりましたし(笑)。ですから、日本の幼少時代の記憶とそういう雑誌や漫画で知った日本がシームレスにつながっているんです。

阿川 へぇ。

イシグロ それが、21、2歳の頃にハタと、自分は幼少時代の思い出と雑誌や漫画を読んで創り上げた“特別の日本”を、日本だと錯覚しているんだと気がついた。それで、本当の日本を知りたいと、貪るように日本の文学を読んだり、映画を観るようになったんです。

阿川 自分が創り上げたユートピアのような日本イコール日本ではないんだと。

イシグロ そう。自分でも、どうして突然、日本を舞台に小説を書こうと思ったのか不思議だったんですが、振り返ってみると、私の中の“特別な日本”は私が年を取るにつれて薄れていく非常に脆いものであると気づいて、永遠に残しておきたいと思って、急いで小説という形にしたんですね。