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政界引退・亀井静香が作り上げた“政治力”を生かすビジネスモデル

石原慎太郎氏の盟友でもあった ©文藝春秋

「(当選しても)一緒にやっていく相棒が見つかりません」

 地元広島で記者会見を開き、政界引退の理由をこう説明した前衆院議員、亀井静香氏(80)。警察官僚から政界に転じて当選13回、約40年の議員生活は、まさに波乱に満ちたものだった。

「そもそも亀井氏は、埼玉県警捜査二課長時代に街中で暴力事件を起こし、現行犯逮捕された“武勇伝”を持つ異色の警察官僚でした。その強面ぶりと生来の人たらしぶりで、特異な人脈を持ち、のちに行方不明となった仕手集団、コスモポリタンの池田保次会長や戦後最大の経済事件と呼ばれたイトマン事件で逮捕された許永中氏との関係が取り沙汰されました」(警察関係者)

 政治家としては1994年に自社さ連立政権の立役者として村山内閣で運輸大臣に就いて以降、存在感が増していく。自民党政調会長を経験し、派閥領袖にもなった。だが、郵政解散へと続く“小泉劇場”で翻弄され、離党。以後、亀井氏は“はぐれ烏”となったが、その一方で政界きってのアントレプレナーでもあった。

「日本航空の出資などにより88年に警備会社を設立し、オーナーとして君臨。空港の保安検査業務や高速道路の交通管理業務などを請け負い、“運輸族”としての政治力を背景にして会社を大きくするというビジネスモデルを作り上げました。そのセンスが彼の集金力の源泉でもあったのです。後年は日本大学に危機管理学部を創設することを“最後の大仕事”と公言、警察人脈を駆使して昨春の開設に尽力しました。そんなことができる政治家は彼くらいでしょう」(自民党関係者)

 清濁併せ呑んできた亀井氏の生き様の如く、彼の政治家としての散り際も、一筋縄ではいかなかったようだ。

「前回の衆院選で亀井氏を支援した自由党の佐藤公治氏が希望の党から同じ選挙区で出馬する見通しだったため、亀井氏は自由党の小沢一郎代表に接触。『次は彼に譲るので今回は出ない方向で説得して欲しい』と持ち掛け、さらに希望の党から比例で出る道も模索していました。これが失敗に終わると、今度は自民党の二階俊博幹事長に復党を打診。自民の比例代表の単独候補として入れて欲しいと泣き付いた。これもやんわり断られ、万策尽きた末に、引退を決意するに至ったのです」(永田町関係者)

 政界の暴れん坊らしい引退劇だった。