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【日本シリーズ】天国のラジオでベイスターズの勝利を伝えたい

文春野球コラム 日本シリーズ2017

2017/11/01

【監督・プロ野球死亡遊戯からの推薦コメント】
 お待たせしました日本シリーズ主役の登場。第4戦は西澤千央さんです。仮にセ・リーグが黒星先行で第4戦を迎えても、1記事あたりの平均HIT数で文春野球屈指を誇る“京浜工業地帯の人妻”がローテのど真ん中にいれば大丈夫。そのコラムを読む時は考えるな、感じるんだ……ということで、西澤ワールドをお楽しみください!

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ベイスターズファンだった伯母との思い出

 ベイスターズは、今年19年振りに日本シリーズ出場を果たした。クライマックスシリーズファイナルステージ。山崎康晃が去年のCSで散々苦しめられた田中広輔を三振に斬って取ったとき、ハマスタのパブリックビューイングで、私は震えながら泣いていた。とうとう、日本シリーズに行く。行ってしまう。でも、それを一番に報告したい人は、もうここにはいない。

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 今年の5月に伯母が死んだ。がんだった。今でもまだ半分信じられない。大好きで大好きで、思い出すとまだ勝手に涙が出てくる。伯母はベイスターズファンだった。

 1960年、大洋ホエールズは前年(しかも6年連続)最下位から一気にセ・リーグ優勝、そして日本一を成し遂げる。伯母が18歳のときだ。

「あんた知ってるでしょ、黒木」伯母は言った。「優勝したときのルーキーの、黒木だよ」。どうしてババアという生き物は全員同級生というノリで話すのだろうか。私が「知らないよ、そもそも生まれてない」と言うと「黒木いい男なのよ。一本足打法で。渋くて」と自慢が始まる。

 伯母が好きだった黒木基康は1960年に大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)に入団して、1966年に現役を引退している。たった6年のプロ野球人生で、ホエールズ初の優勝を経験したことになる。たった一回しかなかった優勝を。そしてそれは、伯母が自分のスクリーンで見た最初で最後の優勝だった。

 20歳を境に、伯母は徐々に視力を失っていったから。網膜色素変性症という病気のために。

 目が見えない以外は本当に健康で、仕事もしていたし、同居する母親の面倒も、しょっちゅう遊びに行く私ら姪っ子や甥っ子の面倒も、みすぎるくらいにみてくれた。素麺より太く、うどんより細い謎の麺が常備してあって、それをあったかい丼にしてくれる。「そばあるけど食べる?」って聞かれて、正直うどんよりもそばが好きな私は嬉しくて「食べる~」っていうと決まってその謎の麺が出てきた。だけど今何より食べたいのはあの謎の麺だ。

 1998年、伯母は38年振りの優勝の興奮をラジオで味わっていた。「いいでしょ、タカノリ」。黒木の次に見つけた推しは、鈴木尚典だ。見えないけど、分かるらしい。「音が違うもの」と伯母は得意げに言った。そしてしみじみと「38年なんてあっという間だね」と言う。「そんなことねえよ、なげえよ」と私が反論すると「優勝なんて人生に何度もするもんじゃないでしょ」と笑ってた。今思えば、波留といい伯母といい、なんてフラグを立ててくれたんだ。

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