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連載平松洋子の「この味」

平松 洋子
2017/10/19

“微妙なゴキゲン”を見つけに。「セコスタンス」でいこう――平松洋子の「この味」

©下田昌克

 雑誌「ひととき」を読んでいたら、お!となった。京都在住、バッキー・イノウエさんのエッセイに登場した言葉「セコスタンス」。私は、グルーヴ感のききまくったバッキーさんの文章の長年のファンだが、相変わらずスルドいところを突いてくる。

「セコスタンス」とは、街場で「微妙なゴキゲンを見つける」構えのこと。キレ味のいいフレーズはもちろんバッキーさんの命名で、値段とか空気とか、ちまちまと細かいスキマに楽しさを見出す“スタンス”。飲んだり食べたり、あくまでも当日「行きがかりじょう」。店の前で臨時休業の札にがっかりしたとしても、「残念こそ街のご馳走や」。うそぶいてみせる「セコスタンス」も、上級者の腕のみせどころ……うーんさすがだ。

 飲み食いは、相手(店とか味とかサービスとか)に「もっともっと」を求めるより、自分を上手にあしらうほうがイイコトに出逢える早道。でも、そのためにはやせ我慢も必要なのがつらいところ。「セコスタンス」は細部に宿る。

 こんなくだりにも膝を打った。

「店の入り口が開いて誰かが入ってくるとつい振り向きたくなるが視線をそこにやると店に漂っているゴキゲンの微粒子が減るので強く意識して見ないようにしているのも京都の街で培われてきた『セコスタンス』のおかげ」

 あるある。居酒屋、喫茶店、バー、扉を開けるといっせいに振り向かれてひるむことが。店の空気に緊張感がピキッと入る瞬間、ナニカが消えてしまうのがちょっと悲しいし、もったいない。だから、やせ我慢しても「セコスタンス」。

 以前に一度、新聞のコラムに書いた話なのだけれど、必死で顔を見るのを我慢したおかげで「名作劇場」として輝き続けている一件があるので、また書いてみたい。

 喫茶店でたまに会うおじいさんがいて、その日は同年配のおばあさんと連れだって来店し、私の斜め後ろの席に座った。遠慮のない口調なのでたぶん夫婦なのだろう。おじいさんはときどきこの店に来るから、ウエイトレスの若い女の子とも顔見知りである。

 水のグラスをテーブルに置きながら、彼女が訊く。

「何にしましょう」

 おじいさん、すかさず。

「おれ、いちごのババロア。あんたのほっぺみたいなピンク色の」

 この手のご老人はときどきいるよな〜。内心鼻白んでいると、おばあさん間髪入れずぴしゃり。

「じゃああたしチョコレートケーキ。このおじいさんの顔色みたいな色の」

 うわお!

 すばらしすぎる応酬に感動するあまり、笑いが出るのが一拍も二拍も遅れてしまいました。長年連れ添った妻には、夫の行動パターンが見え見え。しかもワンパターンだから、ツッコミのスピードと内容に磨きがかかっているとみた。

 絶妙の間合いで繰り広げられるボケとツッコミが、漫才というより音楽みたいに心地よかった。

 ほどなく、若い女の子のほっぺの色のいちごのババロアとおじいさんの顔色みたいな色のチョコレートケーキが横を通っていった。しばらくの無音。

 おじいさん、言う。

「うまいぞ、これ。あんたも食べてみなよ」

「アラそう。んじゃひと口」

 年季の入ったゴキゲンな会話。バッキーさんに聞かせたかった。