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「幸せを演じる人は不幸がいい」──小林亜星×梶芽衣子 輝ける『寺内貫太郎一家』の日々

社会現象にもなった“頑固一徹な親父”と“長女”が「昭和」を語る

 向田邦子脚本、久世光彦プロデュースにより1974年にスタートした『寺内貫太郎一家』。東京の下町で三代続く石屋を舞台にしたコメディタッチのホームドラマは、平均31パーセントを越す高視聴率を記録し、社会現象や流行語も生み出した。頑固一徹な父親とその長女・静江を演じたふたりが、活気に満ちていた当時の思い出を語り合う――。

©橋本篤/文藝春秋

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小林 梶さんとお目にかかるのは、何十年かぶりだけど、本当に変わらないですね。

 そんなことはないですよ。ドラマ『寺内貫太郎一家』で、お父さん役の亜星さんとご一緒したのは、もう40年以上も前になるんですから。

小林 脚本の向田邦子さん、演出の久世光彦(くぜてるひこ)さん、大先輩のバンジュン(伴淳三郎)さんをはじめ、偉い人たちはみんな亡くなっちゃって……。

 そうですね。でも、昨年終わった『鬼平犯科帳』のゲストに左とん平さんが出ていらした時に、久しぶりにお目にかかったらあの方も変わりなくて。

小林 とんちゃんは、お酒を飲まないからそれがいいんだろうけど、僕は大酒飲みだから。

 いえいえ、お父さんもお変わりないですよ。

小林 僕はもう85歳ですから、急にお変わりになっちゃ、それはそれでいけない(笑)。

 そもそも、『寺内貫太郎一家』の当時の人気は大変なもので、いまでも伝説になっているというか、従来のホームドラマに革命を起こした作品でしたよね。それは向田先生がすごかったし、久世さんもすごかったからですけど、やっぱり、亜星さんが演じた寺内貫太郎というお父さんがいてこその感動が、すごく大きかったと思うんです。

小林 まったくのど素人の演技だったし、現在だったら、あんな暴力的な親父は許せないと非難殺到でしょう。

アフロから石屋の親父に

 このドラマの話を久世さんからいただいた時、私は正直、亜星さんのことを存じ上げなかったんです。作曲家の方が主役をおやりになるのかと不思議に思っていたところ、写真を見せてもらってさらにびっくり! なんと長髪のアフロヘアだったんですから。

小林 あの頃は、そんなのも流行ってたんだけど、最悪でしょう(笑)。向田さんもその変な頭の写真を見て、「この人? 嫌よ」って言ったというのは、まったく無理もない。しかも、頑固一徹な寺内貫太郎のモデルは、向田さんの実のお父さんだったということで、余計に許せなかったらしい。

 それで、私は久世さんに「アフロでお父さん役を演(や)られるんですか?」と聞いたら、「違うよ。会った時のお楽しみ」って言われて、実際にお目にかかった時には、この坊主頭のヘアスタイルになっていました。そこでようやく、石屋のお父さんはこの人なんだ、って実感が湧いたんですけど、髪型を変えたのは久世さんの命令だったんですよね。

小林 その頃は、TBSの下に床屋があって、そこへ行って頭を刈ってこいって久世さんに言われたんです。その後、半纏を着せられて、局内を歩かされたんだけど、それをどこからか向田さんが見ていて、「あ、これは貫太郎よね」と言ったもんだから、もう逃げられなくなりました。

 でも、いろいろと抵抗はあったんじゃないですか?

小林 久世さんは、まずフランキー堺さんのところへ頼みにいったんだけど、ちょうどご自身が監督をして映画を撮っていたところで断られた。次にドリフターズの高木ブーのところへ話を持っていったんだけど、ドリフだって大忙しでしょう。なかなか太った役者がいなくて困りはてていたところに、「亜星はどうだ」ってなったらしい。当時、ドラマの音楽を担当していた僕のことをドラマ班の人はみんな知っていたし、僕としては、TBSは大のお得意さんだから断れなかったわけです。

 久世さんという方は、独特な目を持っていらっしゃったから、ご自身で何か閃いていたんだと思いますよ。

小林 そういうところは確かにありましたね。