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連載オカンといっしょ

オカンといっしょ #7 Maroon「精神病院で、おばあちゃんが初期化された」

ツチヤタカユキの連載小説

genre : エンタメ, 読書

「人間関係不得意」で、さみしさも、情熱も、性欲も、すべてを笑いにぶつけて生きてきた伝説のハガキ職人ツチヤタカユキ。これは彼の初めての小説である。

 彼は、父の顔を知らない。気がついたら、オカンとふたり。とんでもなく美人で、すぐ新作(新しい男)を連れてくる、オカン。「別に、二人のままで、ええやんけ!」切なさを振り切るように、子どもの頃からひたすら「笑い」を摂取し、ネタにして、投稿してきた人生。いまなお抜けられない暗路を行くツチヤタカユキの、赤裸々な記録。今回は、おばあちゃんのこと。

◆ ◆ ◆

 僕のおばあちゃんには、建物の声が聞こえる。

 最後におばあちゃんを見たのは、今から半年前。その時のおばあちゃんは、壁に向かって怒鳴り散らしていた。
 
 初めてその姿を見た時、おばあちゃんは建物と会話ができるんだと思った。
 
 それからしばらくして、精神病院に入れられたと聞いた。

 バスで知らない街を走る。

 このバスは、その病院に向かっている。僕が暮らす街とはまるで違う、閑静な住宅街を抜ける。

 ここの街の奴ら、ええなー。めっちゃキレイやんけ。道にゴミ一つ落ちとらん。

 生まれる街を選べるんやったら、この街が良かったわ。

 僕が初めておばあちゃんに会ったのは、6歳の頃だった。

「おばあちゃんやで」

 のちに、祖母というものは、基本的には生まれた時から居るものだと知る。それを知るまで、おばあちゃんというものはいきなり現れるものだと思っていた。

 目の前に現れた年寄りは、母にそっくりだった。

 母の顔をロウソクだとするならば、そのロウが溶けて垂れたみたいな顔。

 年寄りにかかる重力は、オレらにかかる重力より重いんかな? 何かしらんけど、体中が垂れ下がっとる。

 その時のおばあちゃんは、凄く嬉しそうに僕の事を見ていた。

 喋り出すとその声は、スナックのママみたいにしゃがれていた。それは、過去に水商売をやっていた人が持つ、特有の声だった。

 おばあちゃんの体からは、いつも畳の匂いがした。

 何で年寄りって、皆、畳の匂いすんねやろ? 最終的に畳になっていく過程の中におるんかな?

 ポッキーみたいに折れやすそうな細い腕。手を繋いだら、シワシワでパサパサ。クロワッサンのパンと手を繋いでいるみたい。

 電車に乗る時は、いつも僕にこう命じた。

「幼児のフリしいや」

 電車は、小学生から子ども料金が発生する。僕に幼児のフリをさせる事で、僕の電車代を毎回ケチった。

 その当時、世間ではたまごっちが流行していた。ある日おばあちゃんは、僕にそれを10個くれた。

「同じやつ10個くれんねやったら、いろんな種類のゲームが欲しかった」

 帰りにそう母に言ったら、こう怒られた。

「アンタが喜ぶと思ってくれてんから、そんなん言いな!」

 たまごっちを10個同時に育てたら、育児ノイローゼになりかけた。

 

 バスは、精神病院に到着した。

 何で病院って白色なんやろう? 赤色とか青色とか、カラフルな病院とか、見たことないなあ。

 おばあちゃんの病室に向かう途中、廊下でオッサンが暴れていた。こういうオッサンは、よく通天閣の周りで見かけた。あそこは、ワンカップ片手に街を徘徊する歯の無いオッサンの巣窟。

 すぐに看護師に取り押さえられてどっかに連れて行かれた。「あんまり見たらアカン」とオカンは言った。

 病室に到着すると、おばあちゃんはパジャマのままベッドに座っていた。

 相変わらず、顔はトルコアイスの要領で皮膚を一回伸ばしたみたいに垂れ下がっていた。全身の皮膚は緩みきっているけれど、人柄はその真逆だった。

 以前のおばあちゃんは、傷のあるレコードがその地点に来た時に、たまに音が飛ぶみたいな感じの人柄だった。

 スラム街にある木造のアパートに、ギャンブル漬けのジジイと2人で暮らしていた。
最後に会った時のおばあちゃんは、壁に向かって怒鳴っていたから、建物と喋れるんだと思った。この木造のアパートが、おばあちゃんを怒らせるような事を言ったようにしか見えなかった。

 その時にはもう、たまにではなく、全ての盤面で音が飛びまくっているレコードみたいだった。地球丸ごとが巨大なレコードプレーヤーで、音が飛びまくるレコードがその上で激しく回転していた。

 それが今では、電池を逆さまに入れられたみたいに全く動かなくなった。安らかな表情で、おとなしく座っている。ただの地蔵みたいや。

 なんだか、この世から一人の人間が消えたみたいに感じた。