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2度の危機を乗り越えた45歳のリーダーシップ——柏レイソル・下平隆宏監督インタビュー#1

2017/10/20

Jリーグのなかで、嫌な存在になっていきたい

――下平さんは柏の創設期のメンバー。日立製作所サッカー部時代から長年にわたって、チームの主力として活躍されました。高校卒業後、実は美容師として就職が決まっていたとか?

「そうなんです(笑)。高3の夏に青森から東京に出て、美容師になろうと思って就職先も決まっていたんですが、最後の高校選手権1回戦で鹿児島実業に負けて『このままサッカーをやめていいのか』っていう思いが急に膨らんできたんです。それで日立サッカー部のテストを受けて、たまたま受かりました」

――無名選手が、主力にはい上がっていきました。

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「元々、トップ下をやっていて自分ではパサーだと思っていたのでかなり勘違いしていましたね(笑)。周りはうまい人だらけで、自分の中途半端なテクニックはまったく通用しないと思い知らされました。コーチに相談して、守備的ミッドフィルダーをやりたい、と。守備であれば自分にセンスがなくても、理論と根性で何とかなると思っていましたから。生きる道は泥臭いプレー。何とか生き残っていった感じでしたね」

――2004年に現役引退してからは、柏のスカウトに転身します。

「レイソルで11年間プレーして、その後にFC東京で2年間。実はそこで大宮アルディージャから移籍の話があったんですが、レイソルに『戻ってこないか』と誘われたこともあって最後に2年プレーして引退を決めました。引退後は、テスト生で拾ってもらったレイソルにとにかく恩返しがしたい、と。その時期チームはギリギリでJ1に残留して、クラブ自体を変えていきたいという思いが急に膨らんできたんです。スクールコーチの話をいただいたんですが、直接的にトップチームの強化にかかわっていきたいと希望してスカウトを5年間、やらせてもらうことになりました」

――続いて続いてU-18コーチ、U-18監督になり、まさにレイソルの土台づくりを手掛けてきました。その間、トップチームはネルシーニョ監督のもと、2011年に悲願のJ1制覇を果たし、ヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)、天皇杯のタイトルも獲得して、強豪クラブの仲間入りを果たします。今、レイソルのリーダーとして、どんなチームを目指していますか?

「とにかくJリーグのなかで、嫌な存在になっていきたいとは思っています。スタジアムは小さいですけど、ピッチとスタンドが近くて凄く威圧感があります。相手チームからしたら敵に囲まれて嫌だろうし、それだけじゃなくて、レイソルはボールを持ったら取られないように、ボールを持たれたら奪うように。そんなチームと戦うのは嫌だなって思わせたいですね。そしてJリーグだけじゃなくて、アジアでチャンピオンになれるチームになりたい。監督としていつかACLのタイトルが取れたらうれしいですが、もし僕じゃなくてもいつかクラブが取ってくれたらそれでいいです」

写真=杉山拓也/文藝春秋

(#2[10月22日 11時公開]に続く)

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