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統合失調症の母と認知症の父の教え 『ひよっこ』医療監修者の“哲学”

最先端の遺伝子研究者・糸川昌成がたどり着いた医療の本質

genre : ライフ, 医療, 社会

note

認知症になった親父から教えてもらったこと

――最近になって、発達障害、認知症といった脳科学、精神医学に関連するものに関心が集まっていますが、糸川さんはこの流れをどのように感じていますか?

糸川 発現するメカニズムが解明されてきていることも大きいでしょうが、認知症について言えば、高齢者がこれだけ増えた時代ですから、多くの人が関心を持つのは自然だと思います。私の父もつい最近、86歳で亡くなりましたが、それこそ父にとっての認知症の意味とは何か、考えることにもなりましたね。

――どういうことでしょうか。

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糸川 親父は短時記憶の障害という、昔のことは覚えてるんだけど、昨日今日のことは覚えていない状態だったんです。常に目の前の30分を生きているような感じです。たとえばハーゲンダッツを買って親父のところに持っていくと「こんなもん、戦時中は食えなかった」と言って幸せそうな顔してるんです。医者の僕から見て1カ月もたない、という時になっても、1カ月後に死を迎えるであろう人間の表情ではなくて、実に満ち足りた表情。そこで思いました。なるほど、86歳の認知症の人間に、アリセプトを飲ませて記憶力を回復させることはよくないことだな、と。記憶力があれば、徐々に酒が飲めなくなり、次第に歩けなくなり、様々な機能を失っていっている自分に向き合わざるを得ないわけです。そして、その延長線上にある死に対峙しなければならない。老いによって自然な形で忘れが激しくなる、そのエイジングによる認知症というものの意味を、教えてもらった気がしているんです。

「毎朝、論文検索から一日が始まります」

遺伝子研究をやっていると、科学では対応できないことに気づく

――最先端の遺伝子研究によって脳科学、精神のメカニズムを追究されている方が、自然の摂理のようなものに教えられることって、あるんですね。

糸川 私の研究は「人間はタンパク質の集合体」ということを前提にした“物質還元主義”な一面があります。だから話すことは機械的なものになりがちで、「糸川は冷たい奴だろう」なんてよく誤解も受けるんですよ(笑)。でも、この研究をやっていると、いろんなところで自然の力とか、物質を相手にする科学では対応できないことがあるってことに気づかされます。たとえば、薬は必ず人間に副作用を及ぼします。精神療法にだって、精神科医が話を聞いてあげることで逆に相手の具合が悪くなるという事例もあるんです。全ての介入行為には副作用がある。ところが、一つだけ副作用を起こさないものがあるんです。なんだと思います? 自然なんです。

――自然……。緑とかですか?

糸川 そうです。転地療養ってありますよね。あれは実に理にかなっているんです。僕らは10万年以上も前のホモサピエンス誕生以来の記憶をゲノム上に織り込まれているわけです。だから、緑のある環境には適応するけれど、コンクリートに囲まれた環境には本来馴染まないんです。マンハッタンや明治維新後の東京が目的地へ真っ直ぐいけるような都市計画をしたのも人類の生理にはあまり合ってない気がします。中世ヨーロッパの広場が多い感じ、ぶらぶら歩きしてしまうような街づくりのほうが、気散じもできて気持ちがいいはずなんですけどね。だから都会生活で、昔はなかったような病気が増えているのも当然なんですよ。

「本はいろいろ読みます。最近は中沢新一さんを読みますね。村上春樹さんも好き。『ノルウェイの森』には、精神科医じゃないと書けないような描写があって驚きました」