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特集
総選挙2017 オレの争点 新聞、テレビが報じない政策課題を問う

藤田 孝典
2017/10/21

 与野党ともに国民の期待に応えられていないうえに、国民の声を聴いていないと受け取られている。もはや政治に期待しても、生活は良くならないという諦念は止められないほどだ。だから安倍首相や政府与党関係者が街頭演説に出れば、ヤジや「帰れ!」コールが巻き起こる。街頭演説をしても支持が広がるとは言えない。

 一方で、政権批判の受け皿として支持が集まってもよさそうな野党への失望も同様に起こっている。

「批判ばかりで建設的ではない」

「国会審議の妨害ばかりしている」

「政策の実現可能性が低い」

 市民が政権交代を2度経験したいま、民主党政権の失敗も未だにトラウマのように尾を引いている。与党に代わる選択肢は提示されないままの日々を送っている。

©iStock.com

 日本には、欧州のようにバカンスを楽しみ、じっくりと政治や社会と向き合う時間がない。金にならない議論に時間を費やすよりも、残業代を稼ぐため、生活を維持するため、家族を守るために、必死に働く人々の姿がオフィス街でも遅くまで見受けられる。生活に不満があろうとも、街頭の署名活動やデモなどに参加する選択肢は挙がりようがない。生活に精一杯なのだから。政治活動は、ゆとりのある人々の娯楽と化してしまっているかのようである。

 政治への要求は、日々の生活について振り返り、じっくり考え、友人や知人と語り合いながら、時には口論をし、自由に意見を交わすなかで成熟していくものだ。投票先も自ずと交流によって決まる。選挙となれば、欧州の街中では市民が議論をしている光景はよく見かける。アメリカでも大統領選は多くの時間を割いて、1人を最終的に選択する。

 しかし、日本では多くの多忙な市民は短時間で一面的な情報に流されるしか選ぶ方法がない。だから日本では街宣カーが一方的に候補者や政党の主張を叫ぶか、候補者名を連呼するだけの騒がしい短期決戦の時間である。市民が積極的に明日を語り、議論をする契機すら得られないまま、投票日を迎え続けている。

憲法25条が形骸化した社会

 私たちは、貧困や将来不安が蔓延する、憲法25条が形骸化した社会に生きている。人々が健康で文化的に生きる権利が侵害されている社会である。「衣食足りて礼節を知る」といわれるが、文化的に生きていなければ、政治や社会を考える余裕はない。もちろん、他国との交渉や平和、ましてや「憲法9条のあり方」などを考える暇はない。

 ここまで人々の政治参加を困難にしてきた憲法25条の形骸化は、如何にして起こってきたものなのだろうか。ここからが今回の主題であり、政治的関心が高い層へのお願いでもある。

 長時間労働や将来不安から市民を解放してきたのは、歴史的にみても結束の強い労働運動である。労働運動や派生した社会活動が民主主義社会の進展、ゆとりある社会の構築、安心して暮らせる社会保障を生み出す唯一の方法であった。それら強い市民の結束は、長く続いてきた自民党政権下でも、選挙以外の活動でこそ、賃金の上昇や福利厚生の充実、社会保障の拡充といったように、様々な要求を実現してきた。

 要するに、市民が政治、選挙のみに走らなくても、生活をよくする方法は無数にあった。選挙はあくまで民意を伝える一つの手段でしかない。むしろ、日常生活を中心にして、社会をよくする組織化や社会運動が不可欠なのである。