「人間関係不得意」で、さみしさも、情熱も、性欲も、すべてを笑いにぶつけて生きてきた伝説のハガキ職人ツチヤタカユキ。これは彼の初めての小説である。
彼は、父の顔を知らない。気がついたら、オカンとふたり。とんでもなく美人で、すぐ新作(新しい男)を連れてくる、オカン。「別に、二人のままで、ええやんけ!」切なさを振り切るように、子どもの頃からひたすら「笑い」を摂取し、ネタにして、投稿してきた人生。いまなお抜けられない暗路を行くツチヤタカユキの、赤裸々な記録。
◆ ◆ ◆
オカンが夜中に帰って来る事は、珍しい事では無かった。狭い家だったから、いつもその物音で目が覚めた。
「おい、明日、学校やねんぞ? 何時に起こしてくれとんねん?」
「うるさい。眠い。寝かして」
そんな感じで、僕は夜中に起こされ、オカンは、眠る。いつもの事だった。
だけど、その日は話が違った。泥酔したオカンは、オッサンをレンタルして帰って来た。真夜中だった。
隣の部屋から、音が聞こえて来る。その音で、セックスしようとしているのが、分かる。
おい、ふざけんな。オレ、明日、学校やぞ?
僕は、オカンの部屋のドアを開けた。
オカンはパンツを脱いでベッドに横たわっていて、オッサンがその隣に座っていた。
脳から消したい記憶が、また一つ増えた。
もし、記憶に味があるとするならば、この記憶の味は、恐ろしく、ありえないくらい苦い。焦げきったトーストを、かじった時のような味。
ひょろっとした背の高い、くたびれた顔のオッサンが立ち上がり、言い訳するみたいに、こう言った。
「お母さんが酔っ払ってたから連れて帰って来ただけやで?」
「だから、何や? オレが感謝するとでも思ったんか? こいつとオレは何の関係もないねん! なに勝手にオレん家に入って来とんねん? 今すぐ死ねや! チンカス!」
人に怒鳴るなんて久しぶりだったから、声が飛んで、一気にカスれた。それはまるで、声帯に直接セロハンテープを貼られたみたいだった。
「おい、何突っ立っとんねん? ゴミクズ! 早よ、オレの目の前から消え失せろや! 警察呼ぶぞ、ボケー!」
オッサンが玄関から出て行くのを眺めながら思った。
普通の家の母親って、こんなんすんのか?
両親が揃っている家が、羨ましいわ。なんでオレの親だけ、こんなんやねん。なんでオレだけ、こんな想いせなあかんねん。
「おい、ババア! 殺すぞ! 男、二度と連れて来るな言うたやろが!?」
あんなにちょっとの滞在やったのに、家の中はオッサンの臭いがする。その臭いは、ダイオキシンよりも有害のように感じた。
「何やのよ! 大きい声出して! もう眠いねん。寝かして……」
オカンは、ベッドに入って眠ろうとしていた。
「お前のせいで、こうなっとんのやろが! いつも、夜中に起こしやがって! 高校卒業して欲しいんやろ? ほんなら、夜くらいちゃんと寝させろや!」
結局、そこから一睡も出来ずに、カーテンの隙間から入って来た日差しが暗闇を真っ二つに割った。
翌日、起きてきたオカンは、気まずそうに「昨日はゴメン」と言った。
僕は、何も喋らなかった。リビングに、冷蔵庫の音だけが聞こえた。