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服部 文祥
2017/10/28

東京南端、素潜り漁の「腕一本」で生きてきた伝説の漁師

大都会の辺縁には野生の時空間が残っている #1――50年後の「ずばり東京」

 世界一といっていいほどの食の消費地・東京でも、直接命のやりとりに従事する「獲物師」が存在する。それどころか東京の森と海は、大物狩りの歴史が濃い一大ハンティングワールドなのだ。

 登山家・作家の服部文祥氏が、そんな「二人」の生き様に迫った。

出典:『文藝春秋』2017年10月号「東京南端の漁師と北端の猟師」・全2回

◆東京都八丈小島宇津木横瀬根、都庁から直線距離約300キロの磯

「きてる、きてる。海に入れ!」

 赤間憲夫さん(70)が、海面から顔を上げて叫んだ。軽やかな動きで船から海に入り、船を離れてから10秒ほどしか経っていない。

 赤間さんは海中を覗くように、再びうつぶせになって動きを止めた。何かが起きている。銛を手に私も海に入るべきか、赤間さんの魚突きを観察すべきか。横目で赤間さんの動きを見ながら、ウエットスーツのフードをかぶり、水中眼鏡をかけた。

 赤間さんが深くお辞儀をするように上半身を曲げて、水中に没した。ロングフィンはまだ水面に見えており、深くは潜っていない。銛を発したのが身体の動きからわかった。海面に顔を上げることなく銛をたぐっている。海面から飛び出している銛の後端が激しく振動し、その揺れるテンポと銛をがっしりとつかむ赤間さんの動きから、仕留めた獲物のサイズがわかった。大物だ。

「何やってんだ、早く来い。カンパチいっちゃうぞ」

 海面から顔を上げた赤間さんがふたたび叫んだ。

「早く来い。ほれほれ!」

 赤間さんの声には怒気さえ感じられる。運良く回遊に遭遇したカンパチを一尾でも多く仕留めるために漁に加わって欲しいようだ。

 ロングフィンを履き、滑り止め付き軍手を装着してゴーグルをかけた。スノーケルを咥え、身体を預けるようにするりと海中に入った。ウエットスーツの隙間から浸入してくる海水が冷たい。

都庁から約300キロの距離にある八丈島 ©iStock.com

「狩り」の生き証人に会うために

 できるだけ自分の力で山に登りたいと思い、登山中の食料を現地で調達することにした。その延長で狩猟も始め、12年が経った。

 自分の食べ物を自分で獲る。都市で暮らすなら、それは非日常の行為である。だが、食料現地調達の登山(サバイバル登山と呼んでいる)を始めてみると、それは世界観を根本から揺さぶられる体験であった。

 衝撃の核心は「殺し」である。そこには食料を得て生き延びた喜びと、自分が生きるために他者の命を奪うという、原罪ともいえる矛盾が含まれていた。

 東京ではファーストフードから美食まで、食べる側が命のやり取りにまったく加わらない「肉」や「魚」が世界一といっていいほどの規模で消費されている。一方、東京でも、直接命のやりとりに従事する「獲物師」が存在する。それどころか東京の森と海は、大物狩りの歴史が濃い一大ハンティングワールドなのだ。

 東京の一部であっても、命のやりとりをその手で実践するものは、特有の死生観、獲物哲学を持っている。例えば奥多摩の国道で、車と接触してうずくまる鹿を見て、普通のドライバーは顔をしかめるだろう。だが、猟に従事する者は頬を緩めて考える。「うまいかな?」と。同じ東京に、世界の見方がまったく違う人間が混在しているのだ。

 100年ほど時間を遡れば、東京であっても食料の自己調達率はかなり高かったはずだ。傷ついた動物を見て、旨いかどうかをまず観察するワイルドな生き方のほうが多数だったはずである。大都市の隅でたくましく暮らす「狩り」の生き証人に会うために、東京の南端と北端を旅した。この初夏のことである。