昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

連載春日太一の木曜邦画劇場

春日 太一
2016/04/05

語らずとも魅せる名優!
蟹江敬三の三回忌

『十九歳の地図』

source : 週刊文春 2016年3月31日号

genre : エンタメ, 映画

1979年作品(97分)
DIMENTION
3800円(税抜)
レンタルあり

 蟹江敬三が亡くなり、早いものでもうすぐ三回忌になる。

 蟹江は、多くを語ったり、激しい動きをするような芝居はあまりしなかった。ふとした表情や仕草、あるいはたたずまいだけで、言葉では言い表せないような複雑な感情を巧みに表現する。そんな名手だった。時に温かく、時に切なく、時に不穏に……、蟹江がただそこに映し出されるだけで、画面がなんだか情感豊かになっているように思えた。そのため、いかなる役でも「画になる」と思わせてくれた。

 今回取り上げる『十九歳の地図』は、そんな蟹江の魅力を堪能できる作品である。

 主人公の吉岡(本間優二)は販売所に住み込みで新聞配達をしている。蟹江が演じるのは、彼と同室に暮らす三十過ぎの中年男・紺野だ。

 主人公を始め、販売所に暮らしバイトするのは皆、二十歳前後の若者たち。その中にあって、ボサボサの頭髪に不精髭を生やして精気のない顔をした蟹江の姿は、明らかに浮いている。しかもこの紺野という男、年長者としての重みはまるでなく、ギャンブルのために遥かに年下の同僚たちから平気で金を借り、挙句にそれを踏み倒そうとさえする。徹頭徹尾、いじましく卑小で、惨めな人間だった。

 ただそんな役柄でも、蟹江が演じると途端に「画になる男」になってしまう。特に物語序盤の、販売所の店主夫婦の喧嘩を窓越しに見つめる時の表情。その切なげな眼差しはどこかポエティックな憂いが漂うため、胸を締めつけられてしまう。その結果、次の瞬間に主人公の軽蔑の目線に気づき、「そんな目で俺を見るなよ……」と呟くのだが、この時の情けない表情がなぜか可愛らしく思えてくるのである。

 ムカついた配達先にイタズラ電話をすることでしか鬱屈を晴らせない主人公を始め、貧しくてみすぼらしくて、逃げ場のない閉塞感が本作を支配している。だが、そこに蟹江による何気なくもペーソスある芝居が加わることで、不思議な温かみがもたらされた。中でも、配達の自転車を主人公と二人乗りしてナンパに向かう時の蟹江の爽やかな笑顔には多幸感すら覚えてしまう。

 もう一つ印象的な場面が、物語中盤にある。紺野はキックボクサーを目指す同僚のためにガウンを新調してやるのだが、その金は別の同僚から盗んだものだった。問い詰められた紺野は土下座して手を合わせるも許してもらえず、ボコボコにされ堤防の斜面を転がり落ちる。ここでも蟹江の軽妙なテンポの挙動が紺野の痛々しい状況を和らげていて、微笑ましい場面となった。

 多くを語らずに画面に重層的な感情をもたらす――名優・蟹江敬三の真骨頂である。