村を離れるとすぐに風が強くなった。これほど風の強い日に村を出発したのは初めてだったので知らなかったが、シオラパルクの村のある位置はある程度風から守られる地形になっているのだろう。

 先日の荷揚げのときより定着氷は発達していたが、まだ所々で凸凹がのこっているので途中で海氷に下りた。だが海上のほうが陸地から吹きおろしてくる風の影響が強く、橇があおられて重たく感じる。形成されたばかりの新氷は表面が塩分でざらざらしており摩擦も大きい。気温は氷点下18度。たいした寒さじゃないが、風が強いので頬が痛くなって指先も冷えてきた。ただ、沖からのうねりは小さいのか、海氷の揺れや軋みはなく崩壊の不安は感じなかったので、このまま一気に海氷上を氷河まで進むことにした。

 月光がないのでヘッドランプの赤色灯をつけて足元を照らした。ヘッドランプを明るくしすぎると足元の照明があたっているところだけしか見えないが、弱い赤色灯なら足元もわかるうえ、暗闇にも目が慣れてまわりの地形や氷の全体的な様子もなんとなくつかめてくる。荒涼とした闇の中で行動するには、その間に目を慣らさないといけない。途中で亀川・折笠コンビと運んだ食料と燃料を回収した。狐に荒らされるんじゃないかと村人から心配されたが、岩で頑丈に覆っておいたのですべて無事だった。回収した荷物を乗せると橇は本格的に重たくなった。

「ウヤミリック、これからよろしくな」

 氷河の麓に到着したのは、ほぼ予定通り村を出発して7時間後のことだった。定着氷のまわりは、どこもそうだが、潮の圧力で海氷が割れたり積みあがったりしてひどい乱氷帯ができている。苦労して橇を1台ずつ定着氷のうえにはこび、アイススクリューと氷用の釘ペグを打ちこんでがっちりとテントを固定した。予報通りだと明日は強風が吹き荒れるはずだが、氷河まで来ると不気味なほど風がなかった。

 完全な無風だった。薄気味悪いほど風がなく静寂だった。天気は人間の心理に決定的な影響をおよぼす。人間、というか私の場合、その時点の天候状態をもとに翌日の見通しをたてたりしがちで、ときに憂鬱になったり、変に楽観的になったりしてよく失敗する。たとえばGWに北アルプス登山に行く場合など、自宅のある東京はもうすでに真夏みたいに暑いので服装も寝袋も薄いのでいいやと判断するものの、山のほうはまだ冬山に近い状況で死ぬほど寒い思いをするという失敗を毎年のように繰り返している。こういう失敗は探検や登山を20年つづけても治らないので、性格的なもので一生改善しないわけだが、このときも空には星が輝いているし、無風だし、もしかしたら予報は外れるんじゃないか、たぶん外れるな、いやーよかったよかった、などと楽観的になっていた。

 そういえば犬に挨拶するのを忘れていた。

「これから長い旅になるな。よろしくな、ウヤミリック」

 そう声をかけて頭をなでると、犬はいつものように寝っ転がって、気持ちいいのでもっと腹をさすってくださいよ、旦那、という甘えた姿勢をとった。