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現在、飛行可能な零戦は世界に4機だけ

――自分で買うまでした思いとは何だったのでしょうか。

石塚 零戦という「近代日本の産業技術遺産」の素晴らしさを、日本で広めていきたい、その偉大さを後世に残していきたいという思いに尽きます。どうも日本では零戦というだけで、戦争を想起させると忌避敬遠されるのですが、戦後のネガティブな教育によるアレルギー反応によるものではないかと思います。これは私の持論ですが、戦後の復興はゼロから始まったわけではありません。日本には明治維新からわずか70年で培った世界最先端の技術と能力を持った多くの技術者がいた。だからこその復興が可能だったわけです。戦艦大和の建造技術然り、ドイツに匹敵すると言われた潜水艦開発技術然り、そして日本の誇れる技術の頂点、零戦開発技術があったからこそ、新幹線を始めとした鉄道事業、造船産業、世界第一位となった自動車産業から電子工学、電気事業など戦後を経ての現在があるはずです。そのことを忘れないためにも、日本に飛行可能な零戦を残しておきたい。

 

――お持ちの零戦の来歴はどういうものなのでしょうか。

石塚 昭和17年小牧の三菱航空機の工場で作られたこの22型の零戦は、岐阜県各務原飛行場を出発し、南方戦線ニューギニアまで送られ最前線での航空防衛の任務についていました。現地の飛行場で連合軍の地上攻撃に遭い、飛行不能に。戦後、30年ジャングルとなったかつての飛行場跡地の中で見つかり、アメリカのサンタモニカ航空博物館で20年余り展示されていたものが1990年からアメリカとロシアで10年余りの年月と38万時間の延べ労働を掛けて2000年に復元されました。

――作ったのは日本なのに、復元はアメリカやロシアなのですね。

石塚 復元技術は海外のほうが優れていますし、歴史的に価値のあるものを残すと言う文化があります。現在、飛行可能な零戦は世界に4機しかありませんが、全てアメリカで復元し、整備されアメリカ航空局によって飛行認可されたもの。ですから、機体保険もアメリカのものですし、アメリカでの零戦飛行ライセンスを取らないと零戦パイロットにもなれません。

――それを日本で保有するには、金銭面のみならず、いろいろと壁がありそうですね。

石塚 この零戦は2014年に72年ぶりに里帰りしてから日本国内で飛行するための許認可を含めこの3年ですべてのハードルをクリアーしました。機体の売却を日本で実現できれば整備から飛行申請なども元オーナーとして全面的にお手伝い協力をさせていただきますし、零戦を活用し飛行活動、展示会や技術シンポジウムなど教育活動などを開催することで収入も得られるべくサポートもしたいと思っています。

――零戦を活用した収入ですか?

石塚 飛行できる零戦は日本でただ一機です。先ほど言ったように貴重なものですから、先日飛行した「レッドブル・エアレース」などの航空ショー、イベントで飛行を全国から要望されます。しかも零戦ファンは想像以上に層が厚いので集客力が抜群にあります。零戦を見て心の動かない日本人はいない、と私は思っています。日本は海外に比べて航空ショーやエアレース文化が定着していませんが、私のところにも自治体や基地祭などたくさんの問い合わせがあります。零戦の国内保存と飛行活動を知って頂ければ今後零戦が活躍する場は多くなるはずで、年間維持費も十分カバーできるようになると思っています。