昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

連載平松洋子の「この味」

平松 洋子
2017/11/08

私のそば史を塗り替えた、山形の“冷たい”肉そば――平松洋子の「この味」

©下田昌克

 久しぶりの山形は、雨風がじゃぶじゃぶ降りかかるハードなお出迎え。なにしろ日本列島が大型台風のまっただなか、しかも衆議院選挙当日である。

「山形小説家・ライター講座」、十月の講師に招んでいただき、やってきた。山形在住の文芸評論家、池上冬樹さんが世話役と講師を務め、二十年の道のりの間でプロの書き手を何人も輩出している。噂に高い講座だからなんだか緊張するなあと思いつつ、新幹線から降りるなり向かった場所がある。

 山形一寸亭。

 冷たい肉そばを食べるのです。

 山形といえば、冷たい肉そば。私のなかではそういうことになっている。いいや、ご当地名物なら冷たいラーメンだと異議を唱える方もおられようが、十六、七年前、初めて肉そばに遭遇したときの衝撃度が強過ぎた。そもそも「山形といえば、そば」。日本最強の図式は崩せないが、その話はべつの機会に。

 冷たい肉そばは、天童市と村山市のあいだ、河北町が発祥の地である。私が初めて食べたのも河北町で、店の名前は「いろは本店」。河北町の肉そば人気を二分する店らしかった。

 いったいどんなそばが出てくるのか、どきどきしながら待っていると、静かな顔つきの一杯が現れたので、意表を突かれた。

 薄くそぎ切りにした鶏肉。ねぎ。そば。つやっと光る鶏だしのつゆ。

 きれいなそばだな。それが第一印象だった。冷たいのに脂のひとつも浮いておらず、肉そばという名前が醸すがっつりとしたイメージを裏切る。細めのそばをちゅるちゅるっと啜ると、麺に絡みついて滑りこんだ鶏のだしが上品な余韻をふくらませ、そばと鶏がいっさいの違和感なく、成立している。歯ごたえの強い親鶏の肉は、冷たいからこそ濃い風味がじわじわくるし、しゃきしゃきのねぎの香味は口中をさっぱりと洗う。こんな清冽なそばがあったなんて! 私のそば史を塗り替えてくれるのは、いつも山形のそばなのだった。

 江戸風俗研究家の杉浦日向子さんは「ソ連(ソバ好き連)」を率いて終生のそば愛をまっとうなさったが、その背中を押したのも山形だった。店は、かつて旅籠町にあったすばらしきそば屋「萬盛庵」。「一九九一年の秋、山形で、わが生涯の道楽に目覚める」(『ソバ屋で憩う』新潮文庫)。

 山形のそばは、米の代用食つまり庶民の糧であり、そばぶるまいという言葉があるように、そば切りはそれぞれの土地のもてなし料理でもあった。ぶ厚いそば文化があるからこその、冷たい肉そば。親鶏を使うのは、硬く締まった肉を余さず生かす工夫でもあったろう。

 そして本日、山形一寸亭。なぜ一寸亭かといえば、河北町で衝撃を受けた翌日、肉そばの二大派閥の領袖と聞いて駆けつけたが、あいにく店が閉まっており、悔し涙に暮れた……というのが事の成りゆき。

 本懐を果たしました。外は暴風雨なのに、地元客のほとんどが冷たい肉そばを啜っている。

 おひさしぶりです。

 割り箸を割りながら覗きこむと、つゆが鏡面みたいにきらっと光る。やっぱりうまい。

 午後二時から始まった講座は、熱心な受講生のみなさんでぎっしり。ぶじ終了したあと、場所を移して玉こんにゃくの煮〆、きのこ鍋、菊「もってのほか」の酢のもの、青菜(せいさい)漬、どの味にもはっとさせられる。酒は「初孫」の純米本辛口、魔斬。

 山形ではいつも目が覚める。