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連載オカンといっしょ

オカンといっしょ #9 Light Blue(前篇)「卒業して働きはじめた僕は」

ツチヤタカユキの連載小説

genre : エンタメ, 読書

「人間関係不得意」で、さみしさも、情熱も、性欲も、すべてを笑いにぶつけて生きてきた伝説のハガキ職人ツチヤタカユキ。これは彼の初めての小説である。

 彼は、父の顔を知らない。気がついたら、オカンとふたり。とんでもなく美人で、すぐ新作(新しい男)を連れてくる、オカン。「別に、二人のままで、ええやんけ!」切なさを振り切るように、子どもの頃からひたすら「笑い」を摂取し、ネタにして、投稿してきた人生。いまなお抜けられない暗路を行くツチヤタカユキの、赤裸々な記録。

◆ ◆ ◆

「誰や!? トイレで大便、流してへん奴は?」

 主任の咆哮のような声に、鼓膜が鈍く振動する。

「ちゃんと流せや! デボン!」

「俺、ちゃいますよ!」

 デボンさんは28歳で、かつては役者をやっていた。大河ドラマにもエキストラで出た事があるらしい。

 今は、この職場のムードメイカーみたいな感じ。

「まあええわ。さっさとミーティング始めんぞ」

 ゴミ捨て場に捨てられていても誰も拾わないような汚いソファーが、真ん中のテーブルを囲むように配置されている。

 休憩室の中の皆が、そのボロいソファーに座っている。仕事が終わる頃、僕達はこのソファーよりも汚くなって戻ってくる。

「おい、ミーティング中やぞ! グラサン取れ!」

 主任の声が飛んで行った先で、イルさんがサングラスをしたまま座っていた。

「へーい」

 気の無い返事をした後、イルさんはサングラスを外す。

 イルさんは、僕の一つ年上で19歳。父親はイラン人で、一度も会った事がないらしい。ずっと母子家庭で育った。

 似たような家庭環境だ。なのに、僕とは全く性格が違った。

 主任は、コーヒーを片手に話し始める。いつもコーヒーを飲んでいるから、主任が口を開くと周囲にコーヒーの臭いが漂う。

「今日のポジションは、進行、イル。サブランチ、デボン。サポーター、キラ。音響ブース、新入り」

 新入りというのは、僕の事だ。ショーは、基本的に4人体制で回す。

 ここに配属された時に、水色の作業着が配布された。ここにいる全員がそれを着ている。

 今は水色だけど、帰る頃には汗で黒色に見えるようになる。

「なあ、進行変わってくれへん?」

 進行はショーの間中ずっと、バックヤードにいる役者の動きをインカムでディレクターに伝える。声が出なければ成立しない。

「昨日、ライブでやりすぎて、声あんま出えへんねん」

 イルさんは、パンクロックバンドをやっていた。ライブやオーディションで急に休む時は、よくシフトを変われと言われた。

「いいですよ」

「主任! 新入りと今日のポジション変わります」

「おう」

 昔、ヤンチャをしていた人は、おっさんになってもその名残りがどこかに残っている。

 主任からも、それが漂っている。

 主任だけじゃない。ここに居るほぼ全員から、その匂いを感じた。

 テレビが適当なチャンネルで付けっ放しになっていて、朝のワイドショーをやっている。

 北朝鮮が日本に向かってテポドンを撃った。そんなニュースをやっていた。そんなもん、どうでもいい。オレに何を思えっていうんやろ?

 何かを思った所で、この件にはなんの影響も無いやんけ。とにかく、雨が降ってくれたらそれでいい。

 ショーは、野外にあるスタジアムで行われるから、雨が降れば中止になる。そうなれば、作業しなくても給料だけが貰える。

「雨降れ! 雨降れ!」

 しかし、その年の夏は恐ろしい程に快晴が続いた。

 一人また一人と、現場に出て行く。座っていた主が居なくなっても、ソファーがまだ、さっき座っていた人のお尻の形に凹んでいる。このソファー、何年使ってんねやろ? 中のマットレスが完全に死んでいる。

 立ち上がると、テレビの上面が視界に入る。これでもかというくらいに、ホコリをかぶっている。誰一人それを掃除しようとしない所が、男社会って感じがした。

 インカムとヘッドセットを取りにロッカーに向かう。現場では全員がそれを装着した状態で作業する。

 その二つは、いつもロッカーの横で充電されている。それぞれの名前が書かれたロッカーを横切る。

 デボンさんは、散らかし放題のロッカー。イルさんのロッカーには、エロ本や音楽雑誌が積まれてあり、その隣にある僕のロッカーには、読みかけの小説がぽつんと置いてあるだけだった。

 このロッカーに、作業員たちの人となりや性格が出ているような気がする。

 向こうから、デボンさんとイルさんの会話が聞こえて来る。

「お前、ローソンとはどうなった?」

 イルさんは、最近、近所にあるローソンの店員をナンパした。

「やったよ」

「体位は?」

「2回とも騎乗位」

 ヘッドセットを装着して、現場に向かう道中見えたのは、イルさんが、ソファーの上で腰を動かして、どのように射精したかを再現している光景だった。

「女の子は好きか?」

 その光景を見て、ここに配属されたばかりの頃に、主任にされた質問を思い出した。

「ええ、まあ」

「なら、良かった。ええか? 作業中、辛くなったら、女の子の事を考えて耐えろ。ここの奴らは、皆、そうしとる」

 18歳になると、僕はこそこそとAVをレンタルするようになった。

 オカンも同じように、僕にバレないように、こそこそとオッサンをレンタルするようになった。

 もう、僕に新作を会わせる事はなくなった。

 コンタクトも一人で取りに行くようになった。

 久しぶりにコンタクトをハメたら、また世界の見え方が変わった。