文春オンライン

テレビっ子新王座 棋士・中村太地インタビュー#1「国仲涼子さんがずっと好きです」

note

国仲涼子さんがずっと好きです

―― ドラマは見てました? 

中村 『銀狼怪奇ファイル』とか……。(堂本)光一さんですよね。あと、香取(慎吾)さんがやってた『透明人間』。

―― 土曜9時系。

ADVERTISEMENT

中村 ああ、そうですね。

―― その頃、好きな俳優さん、女優さんっていましたか?

中村 僕は『ちゅらさん』を見てた時から国仲涼子さんがずっと好きです。

 

―― 朝ドラは見るほうなんですか?

中村 小学校の頃は見てました。ちょうど小学生が起きて学校に行くギリギリぐらいですもんね。『ちゅらさん』が一番好きで。あと将棋が出てくる『ふたりっ子』も印象に残ってます。小学1~2年頃だったと思いますが、もうその頃は将棋をやっていて、「ああ、将棋の題材のやつなんだ。これは見なきゃ」みたいな感じでしたね。

―― 将棋を始められたのは?

中村 4歳頃です。当時札幌に住んでまして、冬は雪が積もるとほとんど外で遊べないので、室内ゲームを色々やっていたんです。ダイヤモンドゲームとかオセロとかを親とやってたんですけど、将棋もその中の1つで。父親がアマチュア初段ぐらいでちょっとできたので、教えてもらいながら覚えていきました。いろんなゲームをやってたんですけど、将棋に一番ハマって、カルチャーセンターに通い始めました。

―― なぜ数あるゲームの中で将棋に夢中になったんですか? 

中村 なんでだったんですかね……? ちょっと自分でも分からないんですけど、やっぱり奥が深いというのがやっていて何となく分かったのかもしれないです。上達してる感覚も自分であったんでしょうね。父親がまた、うまく勝たせてくれたんですよね。5回やったら3回ぐらい勝たせてくれるみたいな感じで、うまく僕を乗せてくれたんです。

 

―― 勝たせてくれているというのは後々分かったんですか?

中村 もちろん当時は分からなかったんですけど、今、子どもに指導対局で教える立場になって分かりました。うまく力を出させて勝たせてあげるって、こういう感じだったんだろうなあと。将棋は負けると悔しいので、熱が冷めてやめちゃう子が多いんですよ。そういう子供心を理解して、父はうまく教えてくれたんだと思います。

羽生さんみたいになりたい

―― 北海道から東京に来られたのはいつ頃なんですか? 

中村 札幌のあと、一回仙台をはさむんですけど、小学校2年生の時に東京に越してきて、本格的に将棋道場に通い始めました。そこは羽生さんも通っていた八王子にある将棋道場で、同年代の小学生がいっぱいいたので、楽しくやりながらどんどん上達していきましたね。

―― もう羽生さんは憧れの人だったんですか? 

中村 スーパースターでした。96年2月に全タイトル(竜王、名人、王位、王座、棋王、王将、棋聖)制覇して七冠王になられた頃です。将棋をやっている子どもたちはみんな羽生さんみたいになりたいと思ってやってましたね。それが将棋フィーバーの1回目だと思います。今回の「藤井くんフィーバー」もすごかったですけど、同じくらいすごかったですね。

―― では羽生さんに憧れて、八王子まで道場通いをしていたんですね。

中村 そうですね。家の近くの道場にも行ってたりはしたんですけど、やっぱりそこに行ってみたいというのがあって。あと、他の道場に比べて子供が圧倒的に多かったのと、禁煙道場だったんですよ。今は禁煙のところがほとんどですけど、当時はまだ喫煙の道場が大多数だったんです。親としても安心して行かせられたんだろうなと。

 

―― タバコを吸いながら指すという人もいたんですね。

中村 それがかっこいいみたいな感じはありましたね。NHK杯の将棋中継でも昔はタバコを吸いながらの映像があったはずです。

―― へえ、そうなんですか。タバコをよく吸う棋士ってどんな人がいたんでしょう?

中村 昔だと升田幸三先生。灰皿が何回も取り替えられるぐらいの超ヘビースモーカーで。対局の場には最近まで灰皿があったんですけど、ここ1年ぐらいで対局室が禁煙になったんじゃないでしょうか。