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連載中野京子の名画が語る西洋史

中野 京子
2017/11/22

中野京子の名画が語る西洋史――天使がいっぱい

■大忙し
天使に性はない。だが名前はある。正確には、個人名付きの天使もいる。このブロンドの巻き毛と猛禽類の翼を持つ天使は有名なガブリエル。絵画への登場回数は、天使でNo.1だろう。なにしろ処女マリアに受胎を告げたのだ(「受胎告知」は大人気の絵画主題)。そればかりではない。精力的なガブリエルはモーセを埋葬し、聖ヨハネの夢に現れ、ムハンマドに神の御言葉を告げている。最後の審判の際にはラッパも吹くそうな。

◆◆◆

「受胎告知」1597~1600年、油彩、315×174cm プラド美術館 ©ユニフォトプレス

 処女マリアが部屋で旧約聖書を読んでいると、ふいに異界が侵食してくる。そして扉絵で説明した大天使ガブリエルが現れて曰く、「アヴェ・マリア(=おめでとう、マリア)、あなたは懐妊しました」。

 ――これが受胎告知だ。欧米の著名な美術館で受胎告知図のない所はない、などと言われるほど大量に描かれてきた。グレコも数えきれぬほど制作しているので、後世の人間がタイトルを付けるのに苦労した。この絵も一般には「アラゴン聖母マリア学院祭壇画の受胎告知」と呼ばれる(現在はプラド美術館蔵)。

 しかしこれには異論もあり、受胎を告知した図ではなく、これから受胎しますよと告げているシーンなので、「キリストの受肉」と呼ぶべきだという。受肉の証拠は、マリアとガブリエルの間にある「燃える柴」(白いので炎に見えないが……)。この奇跡の柴は受肉の瞬間にマリアの部屋に現れたとの説があり、それをグレコは採用して描き入れたらしい。通常の受胎告知図には、グレコもちゃんと白百合を描いている(要は、受肉説を取って柴を描くのは稀ということ)。

 宗教画のややこしさはさておき、本作に人間は一人しかいない。あとは全部、天使。画面は天使であふれかえっている。

 上部には硬そうな雲に座って、チェロやハープを奏でたり歌ったりする人間くさい天使の楽団。そして中央で神秘の光を放つ鳩へ向かい、顔に羽が直接ついた小さな天使たちが団子のようにかたまって上昇してゆく。目鼻の定かでない顔も団子のように丸い。

 驚くなかれ、天使界も階級制だ。三つに分かれており、音楽で神を讃える天使たちは最下位。ガブリエルも大天使と言われる割には、天使会社では中間管理職並みの第二階級。トップに君臨しているのは何と、「顔天使」であった!

 顔天使は人間なんぞという下々の輩にはいっさい関わらないから偉いのだ。人は見かけに、もとい、天使は見かけによらぬもの。

エル・グレコ El Greco 
1541~1614
エル・グレコは「あのギリシャ人」の意。生前、作品も性格も変わっていると言われていた。

中野京子 Kyoko Nakano
作家・独文学者。特別監修の「怖い絵展」は12月17日まで上野の森美術館で開催。
http://www.kowaie.com/

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