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つい足を踏み入れたくなる「いいビル」って何だろう?

平松洋子が『いいビルの世界 東京ハンサム・イースト』(東京ビルさんぽ 著)を読む

2017/12/03
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『いいビルの世界 東京ハンサム・イースト』(東京ビルさんぽ 著)

 用事もないのに足を踏み入れたくなるビルというのがある。

 これといって明確な理由がないのに何となく気を惹かれ、内部を覗きに入ってみたい欲望に抗えない、そんなビル。実際、年季の入った木の手すりが艶光りしていたり、壁のタイル貼りが焼き物みたいに美しかったり。細部が呼吸しているように思われ、全体がひとつの生命体に感じられる。

 本著は、そんなビルを数年かけて足で探し歩き、多彩な貌(かお)を撮影、写真満載の東京エリア版だ。

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 都心はビルばかりで街がそっけない、などと言いがちだけれど、それは紋切型のイメージでしかないことがよくわかる。“鑑賞する”という視点を導入してみれば、ビルという建築物の玩味どころがわかってくる。

「いいビル」とは何だろう。

 著者は、「一九五〇年代から七〇年代にかけての高度経済成長期のビル」とし、それらには「合理性と効率だけを重視しない、面白さがある。手仕事のよさもある」と指摘している。当時新しかった建築資材、建築スタイル、意匠の流行などを背景にもつビルには、人間の目が行き届いた気配がある。つまり、建築に関わった職人仕事の集大成でもあるといえるだろう。

 まず冒頭は、東京の東、蔵前から馬喰町、繊維や服飾関係の街として栄えてきたエリア。戦前から建つ巨大なコンクリート仕様のイーグルビル、ダイヤモンドを連想させる正面外壁のデザイン窓が華やかな東京貴金属會館など、それぞれに特徴を打ち出したビルが点在し、場と人を繋ぎ合わせながら、歳月をかけて街の空気を醸成してきたことが伝わってくる。

 日本橋、新橋、有楽町、銀座あたり、東京の顔とも言うべき街に建つビルは、佇まいにも迫力がある。

 不特定多数を相手にするエントランスホールにはオーラが漂っているし、華やかな照明、動きのある踊り場……細部から時代の香りが顔をのぞかせる。

 いわくありげな階段の佇まいを眺めれば、昭和の映画の舞台を見ている気分にもなってくる。外壁をキャンバスに見立てた大胆なモザイクタイル。入口のハンドル。窓の面格子。工夫を凝らした装飾テント。送水口……本来、機能や効率をもとめる公共建築物でありながら、それでも個性や美を大切にした人間味の痕跡がここにあるのだ。

 二〇一五年、すでに解体工事の始まった東京會舘の全貌も記録されている。いずれ新しい複合ビルに生まれ変わってお目見えする予定だと聞くけれど、失われてしまった姿はこんなにも美しく、堂々として誇らしげだった。いまさらながらの再発見がほろ苦く、少し感傷的になってしまう。

いいビルの世界 東京ハンサムイースト

東京ビルさんぽ(著)

大福書林
2017年10月9日 発売

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