昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

連載オカンといっしょ

オカンといっしょ #10 Teal「土曜深夜の参観日」

ツチヤタカユキの連載小説

genre : エンタメ, 読書

「人間関係不得意」で、さみしさも、情熱も、性欲も、すべてを笑いにぶつけて生きてきた伝説のハガキ職人ツチヤタカユキ。これは彼の初めての小説である。

 彼は、父の顔を知らない。気がついたら、オカンとふたり。とんでもなく美人で、すぐ新作(新しい男)を連れてくる、オカン。「別に、二人のままで、ええやんけ!」切なさを振り切るように、子どもの頃からひたすら「笑い」を摂取し、ネタにして、投稿してきた人生。いまなお抜けられない暗路を行くツチヤタカユキの、赤裸々な記録。

◆ ◆ ◆

 知らない人の家のインターホンを押すのは憂鬱だ。この世には、それをひたすら繰り返す職業がある。知らない人の家のインターホンを押し、インターホン越しにヨーグルトの販売契約を取り付ける。

 逆の立場なら、迷惑だ。欲しいなら、自分から買いに行く。

 今日も会社から指定された駅で降りる。知らない街を歩く。知らない街に来ると、いつも、転校生になったような気分になる。

 スプレーで落書きされまくった壁。これを描いた奴にとっては、この世界丸ごとが、巨大な落書き帳。

 学校帰りの子ども達が、選挙ポスターの両目に画鋲を刺して遊んでいる。あの感性は間違っていない。本物の議員の目ん玉にもぶっ刺したったらええねん。

 僕が契約を取れたのは、このバイトを始めてからたった一件だけだった。酔ったババアが、訳も分からないまま契約書にサインした。

 アルバイト、イコールそれはこの世界で死体になっている時間。

 あの日を境に、そうだとしか思えなくなった。だから、辞める事にした。

 その事を話したら、オカンは、クソうるさいノイズミュージックを無理矢理聞かされている人みたいな顔をしていた。

「将来どうすんの?」

 そう言うと思っていた。

 オカンの両目が、こっちに向いている。

 人間には、なんで目が二つもついてんねやろ? 大きな一つ目が、顔の真ん中にある。それじゃ、アカンかったんかな?

 雲の後ろに隠れている、曇り空の日の太陽のように、僕はずっとこの世界から隠れていた。

 

 バイトの研修期間中のトレーナーは、エディーさんだった。エディーさんは、そのニックネームの通りエディー・マーフィーにそっくりだった。

 生きている時間丸ごとが、「サタデー・ナイト・ライブ」みたいなコメディー。二人で知らない街を、契約を取るために歩いた。

 履いていたのは、マジックテープのスニーカー。マジックというほど、凄くはない。

 仕事帰りにエディーさんは、こんな話を始めた。

「神様は時おり、デタラメな事をやりよる」

 バイト中、たまに頭に当たっていた雨粒が、少しずつ豪雨になっていった。

「この雨なんて、その代表格や」

 車の屋根を貫きかねないような激しい雨に変わっていく中、エディーさんは叫ぶ。

「この雨が石原さとみの唾液やと思ったら、傘なんかむしろさしたなくなるやろ?」

 そして、両手を広げて雨を全身に浴びながら、こう続けた。

「そんな風に考えたったらええねん! 神様がどんなにデタラメな事をしてきよっても、どんなにやりきれんような事があっても、こっちは想像力でそれを上回ったったらええんや!」

 エディーさんは、すぐに傘をさした僕に気づくと、「アホか? お前! 唾液もったいないやろ!」と叫んだ。

「いや、でも、これ石原さとみの唾液ちゃいますよ?」

 エディーさんは、傘を持っているのに、相変わらず、ささずに両手を広げている。

「そのままやったら、風邪引きますよ? 傘さしましょ!」

 僕の声は届いていない。

 エディーさんは、幸せそうな顔で、降り注ぐ雨を口を開けて飲んでいた。エディーさんの頭の中では、遥か上空のオゾン層あたりで、石原さとみが微笑んでいる。

 この世は想像力一つで、天国に変わる。

 僕がいつか作りたいと思っていたのは、こんな天国のような笑いだった。

 

 部屋にこもり、朝から晩まで、ネタを出し続けた。だけど、今日も読まれなかった。

 もしかしたら、間違ったのか?